05.15
講義の翌日の頭はさらにバカになっております。
立ちっぱなしの講義なので足も辛くて、散歩中の私メは、足を重たく引きずり、ボケ老人とさほど変わるところはございませんでしょう。
ふと花が目に飛び込んでまいります。
花弁をいっぱいに広げ、雄蕊は勢いがよーございます。
花は咲くことが宿命でありますから、咲いたことに、歓びも後悔もすることはないはずであります。
が、人間は、ときとして、しなくてもイイ事をして後悔いたします。
「どうしてあんなことをしてしまったのだろう」とか悔やむことが多々ございます。
けれど、しなくてもイイ事をしてしまう、そういう時期というものがあるのであります。後悔してもイイから、してしまえば良かったと思うのは、そういう若い時期を過ぎた、老いさらばえた年齢に達してからでございます。
後になると、どーして、あんなことをしたのだろうかと、首を傾げることばかりかもしれません。「損なことをしてしまったと」。
でもでも、もっと後になると「仕方なかったんだよね」となります。
ぼんやりと花を眺めつつ、「なぜだろうな」と「そんなことを思うのは…」
突然、閃いたことがございます。
「彼女がね、自宅に火をつけて自殺してのは、その原因はオノくんなのよ」
その声でございました。
遠い昔ことであります。となりのクラスの女子のことでありました。
彼女は四国の医師に嫁ぎ、そーして、40歳のとき、自宅に火を放ったということを、しばらくしてから知らされたのであります。
「遺書があって、そういう内容が書かれていたそうよ」
教えてくれた女子は、こずるそうに「責任、責任」という光を瞳に点滅させておりましたです。
けれど、私メとは咲かぬ関係でありましたから、「遺書は燃えなかったんだね」とかおちょくったものであります。片想いで死ぬものか、ばかばかしい。
そういう忘れていたことが、前触れもなしに疲れた頭に浮上するのであります。
「夫と別れたら、オノくんはどうする?」
このフレーズが、帰省中のモリオカの飲み屋の片隅で、彼女に語られた最後の質問だったことは確かだったような、夢のなかだったよーな。
天の真砂は尽きるとも、世に悩みの種は尽きまじ。
咲いて枯れ、また咲く繰り返しを、花は飽きずに続けますです。
足が痛てーなぁ。
帰り路がこれ以上歩けば苦痛になりそーなところで、自宅に引き返すのでありました。