11.06
百人一首 第三十八歌
「忘らるる
身をば思はず ちかひてし
人のいのちの
惜しくもあるかな」
これは恐ろしい恨みの歌でございます。女の一念の凄まじさを感じさせる「言霊」がこもっております。
「右近さん、ボクはキミが好きなんだ」
とハンサムな貴公子、藤原敦忠に言い寄られ、右近は、
「いけません、そんなことをおっしゃっては…」
「ボクの心は変わらない。変わったら命を差し出してもかまわない」
「ほんとう?」
などとついには二人は恋に堕ちたのでございます。
しかし、敦忠は一度抱いてしまうと、誓いの言葉など忘れ、他の女性とのお遊びに夢中。
待っても待っても、デートのお誘いはないのであります。
右近は後醍醐天皇の后に使われる女官。
一方の敦忠はいまをときめく右大臣の御曹司。
決定的な身分にちがいがあります。
が、右近は彼の誓いの言葉を信じていたのでありますです。
嫌いならキライと言ってくれるだけでいい。歌でも良いから気持ちを伝えて欲しい…。
が、敦忠からはなしのつぶて。
これは、現代にも通じることでございましょう。
そんなとき、女性は極端なことを考えるようでありますですね。
右近の脳裏にも過るモノがありました。
「死ねばいい」
コレであります。
自分を苦しめている敦忠さえ死ねば、自分は楽になれる…と。
その時の歌なのでございます。
「フラれて一人ぼっちのわたしが、どうなろうとかまいません。でも、神様に愛を誓ったあなたも無事で済むわけにはいきませんよ。きっと天罰がくだされるでしょう。そう思うとたまらなく悲しいのです」
やれやれ、男は、こういう女性の感情の起伏に手を焼くのでございますです。
しかし、不思議なことに、冗談で誓ったことが本当になってしまいました。
敦忠は三十八の若さで死んでしまうのです。
一説には藤原道真の祟りとか。
でも、右近の一念も作用していたような気がいたしますね。
さてさて、敦忠の歌も百人一首に選ばれておりますです。
「あひ見ての後の心にくらぶれば 昔はものを思わざりけり」
マジ恋愛をしてしまうと、その苦しさは、片思いで悩んでいたより、ずっと深いなぁ」
てな歌です。
しかし、この歌は右近に対するモノではないのでございますです。
哀れ右近。
恋はマジになると、ほんとうにヤバいものでありますね。
本当ですね思いは「重い」に通じますですね。
「俺を殺したら刑務所に入って食っぱぐれないぞ」
「お前の目は気持ち悪いから俺を見るな」父から言われた言葉です。やっぱり本当に実の父親から嫌われるのは辛いですね。外で褒められても自信が持てません。
●十傳より→骨肉のあらそい…。苦しいところでありますね。
ふ~む…。
女性には二つのタイプがあって、右近のように相手を恨むタイプと、自分を悲観するタイプ。
後者は、苦しみから解放されて楽になりたい気持ちを、自らの死に求める者。
客観的に考えて、相手を恨んで死ねばいいと思う気持ちも、悲観して自分が死のうと思う気持ちも、どっちも哀れですね…。
敦忠は、きっと右近に限らず、女性に対して奔放だったんでしょう。
そういう意味では、最期は自業自得としか言いようがない気がします。
が、右近のように、相手を深く恨むような生き方をしたくはないです。
●十傳より→愛が脆いものであるから、誓わないと安心できないのでございましょうね。