2013
06.12

いつぞやもUPしたことのある画像でありますです。
今日命日のフラッパーな祖母18才のおデートでございますです。
モリオカの実家の下駄屋を銀座の白木屋でも出し、そこのお手伝いに行っていた頃の、不忍池でのおデート。
結果的に商売は失敗し、そこから家運が衰退したのでございましたが。

半年ほど銀座にいたということでありましたが、どこで男を見つけたのか、いまとなっては聞くこともできません。

いや、生存中も聞けませんでしたでありましょう。
なぜなら、私メはフラッパーな祖母から、嫌われていたからであります。
Tシャツを一枚もらった記憶はありますが、お年玉などは妹や弟だけ。
親戚の人々には、私メの悪評が流れておりました。

いままで、ずいぶんと人々から嫌われてまいりましたが、祖母がその第一号でありました。
生年月日が悪い。名前が悪い。と。

私メが占いに興味を持つようになったのは、この祖母をギャフンと言わせたかったからかもしれませんです。

もしかすると、と死んでから考えるようになりましたです。
本当は、他人で年齢が近ければ、恋をしあう関係ではなかったかと。

嫌われる淋しさは、祖母から学びましたが、キライの中に「好き」という感情があったようにも省みられるのであります。それは孫としてではなく、男として。

大正時代の古びたお写真でありますけれど、現在60代のお女性も、似たような写真を隠し持っているのではないでしょうか。
全共闘の嵐が吹きまくっていた時代で、フリーセックスの世でございました。

みんなみんな老いて死んでいくのであります。
好き、キライ、という想い出を置きざりにして。

  1. 僕もそうなのではないかと思う節がありました。子供嫌いで騒ぐと怒るみたいな?

    ●十傳より→人間には人を嫌ったりイジメたりする能力もあるわけでありまして、それを教えてもらうことは意外に大切なことかもしれませんです。べつに教えてあげることはいらないかもですが。

  2. 私の母方の祖母は、祖父の一番ハンサムな写真を、死去するまで持ち歩いていました。姑に嫌われていたので、祖父だけが頼りだったのでしょう。
    ちなみに母の実家はキタカミです。

    ●十傳より→一番って、もともとイケメンだったのでしょう。妻は姑と仲が悪いというのは、これは断易では基礎的な考え方でありますです。

  3. 艶のあるお婆様です。
    想像していた方とは大分イメ-ジが違いました。
    先生の色気と気性は お婆様ゆずりなのかもしれませんね。
    私の母が生まれ育ち、娘時代まで暮らしていました所は
    東京の文京区です。
    鳩山邸の近くだったのですが
    家は戦争で焼けてしまいました。
    母がたまに昔話をする中に白木屋さんが出てきますので
    遠い昔に、先生のお婆様と母はお逢いしていたかもしれません。

      ●十傳より→そう考えますと、静止した画像が、動き出すような気がいたしますですね。