2015
06.17

耶蘇教の「世界人類の幸せ」を祈る木材が、北東の欠けの家に建てられておりました。

借財を背負い、病気は治りにくいということは家相セミナー皐月の陣で教授した通りであります。

耶蘇教では占いを禁じておりますから、家相云々を語ったところで聞く耳も持たないことでしょう。
ただアーメンとお祈りするのみ。

家々を観察することは不思議な想像力を掻きたてるものであります。

家相セミナーの続編は8月29日(土)と決め、ただいま前回のセミナーに出席された方々にお誘いのメールをしております。
次はAugustの陣と銘打ち、各部屋の吉凶を論じ、その対策を講じるつもりであります。

奇門遁甲は家の欠け張りをさほど気にしませぬ。
しかし、私メの実体験では、やはり欠け張りは家族の運命に重大な光と影を投じるものであるのです。なので、私メの家相術は欠け張りは大きな要素となるのでございます。

なぜ、欠け張りが運命に影響するのか。
この原因を知らねば、どんなに家相を論じても何にもなりませぬ。
なぜ西の欠けはお女性の恋愛面に悪い影響をもたらすのか。
たんなる家の形ではないか。
光の加減か、風通しか、家の強度なのか…。
これはAugustの陣で謎解きをすることにいたします。

むろんAugustの陣だけにご参加もOKでありますが、座席の都合で、前回の参加者を優先にいたしますれば、しばしお待ちを。

おもえば家相の欠け張りの吉凶の理由を正確に語っている本もなければ、教えてくれる易者もおりませぬ。
それもそのはず。
誰も知らないからであります。
知らずに西の欠けはとか、南西の欠けは後家相だと叫ぶばかり。

原因が分からぬようでは対策も分かるはずがございませぬ。苦し紛れに、南に赤いガラス球を吊るせばイイとか、鏡を置けば良いなどと誤魔化しておりますです。

もう日本にも、こういう大切な部分を語るお方は皆無になっておるのであります。
自分は何流だとか、そういう絶望的な自尊心が残っておるにすぎませぬ。

まぁ、こういう易者の内部事情は置いておくことがイイのかもしれませんね。

セミナーなのでなるべく専門用語、たとえば干支は語らずに、分かりやすく工夫して講義するつもりでして、それはそれで相当に難しい事であります。

などなど講義すれば損した気分になるのはいつものことでございますが、核心を語らねば、私メは気分が悪くなり、そういう性分だから仕方ありませんですね。

やはり少し隠した方がイインでねのと、もう一人の私メが囁いておりますです。

おお、Augustの陣も、受講料は21600円であります。
むろんお弁当付き。
そのほか楽しげなことも予定しておりますです。

地方都市在住のお方は時間的にも金額的にもさぞや大変かもしれませんですが、そこは高楊枝の姿勢でお願いいたします。

そうそう、「夏なんだから幽霊屋敷の話題も」というリクエストもございます。
得意の分野であります。実家の話題を五つ六つ語ればいいだけでありますから。
暑い夏を涼しくしてご覧にいれましょーか。

2015
06.16

時空間を飛ぶのは、三島由紀夫のいう金閣寺の鳳凰だけではありませぬ。

大宮にも時間を飛び古びたラーメン屋が存在しておりました。

入るのも出るのも、ちょっとおしょしいラーメン屋なのであります。
しかし、入らずに神奈川に戻るのも惜しい。

ラーメン屋なのに大威張りで腕組みする店は飽き飽きしてますし、そんな自慢のコテコテラーメンを食って、あまりの油に目を回してぶっ倒れたのが六年前。

素朴なラーメン屋がイイのであります。

ところが、内部は淋しくリニューアルされておりました。
「食券買ってから席についてください」
と言われましたが、どこにも券売機はなく、振り返るとオバさんが坐っていて、「表にあるのはほんの一部だから、ゆっくり選んでください」と満面の笑み。
「はじめて、ここ?」
「はい」
なんて60男に敬語を使わせる雰囲気なのでありました。選ぶまでもございませぬ。
ラーメンと塩ラーメン、そして冷やし中華と冷やしつけ麺がある程度であります。

「塩ラーメンを」
「それだけでいいの?」
「はい」
とまた敬語。

店内を映していましたら、「ここはね取材拒否なんよ」とラーメンが運ばれ、茹で過ぎの細麺。

これも昔ながらだろうとおもえばオツなもの。

味ももちろんB級。
そして禁煙。
水はぬるめの水道水。カルキ臭100パーセントでありました。

しかし、微笑ましいのであります。
落ちぶれごっこには最適。
ですから私メも落ちぶれたアーティストを演じることにいたしました。
たとえば「細い指してたんだねぇ♬」とうたう麻薬アーティストになりきろうとするのでありますが、中途半端に改装した店内では、なかなかそれも許されません。

たとえばかき氷などがあり、忙しく氷を削る音などがあればよろしいのでありますが、高校の文化祭などで見かけるみたいな、ありゃんの絵画に毒されて、演技もむなしくなるのでこざいます。
「取材拒否なのはね」
とまたオバサンが水をつぎにくるのでありました。
私メを勘違いしているフシがございます。

普通の倍近くある麺を完食し、みると丼の内側の龍のデザインがこすれて薄くなっているではありませぬか。

この丼を何人も口をつけてすすり、そのたびにたわしで洗ったのでありましょう。
時を経た丼に感動いたしました。

大宮はかつて、このよーな店が傾いてたちならぶ路地で密集しておりました。
しかし来るたびにキレイになっているのであります。
ダイニングバーとか、男の隠家的な店にかわり、奇妙なロシア料理屋やスナックバーとか小汚い焼肉屋の店が少なくなりつつあります。

でも売春婦がすうにん流し目ですれ違ったのは嬉しく、「そうでなければ…」と髪を束ね直したりするのでございました。
「あそびましょーよ」
「イイ女だねぇ」
「いっぱいイイことしてあげるよ」
「残念だね。いまシテきたばかでさぁ」
なんて妄想が再燃し、ふふふの大宮の夜は夏至を前に暮れそうで暮れないのでありました。

2015
06.14

海の男ではございませんが、潮風を受けていると心身に活力が戻るのでございます。

もう6年ほど前のことですが、ラーメン屋でぶっ倒れ、救急車で搬送されたことがありまして、精密検査では異常なし。
とたんに医者も看護婦も冷たくなり、病院を出されたモノでしたが、精密検査では異常はなかったものの、やはり頭の芯のあたりが微妙にズレたような気がいたしまして、1か月ほど海辺に出たのであります。

別に、潮風療法をしようという意識はありませんでしたけれど、魂が海を求めていたよ―で、それに従ったのでございました。

体調は回復いたしまして、しかし、以前のように毎日、事務所に出かけるのが億劫になり、事実上、退職者のような日々をおくって現在に至っております。

つまり55歳あたりで退職という、いにしえの時代の風習に従がったことになってしまいました。

原稿の仕事はありましたが、自宅でできるではないかとハタと気づいたわけでありました。

それからブログをはじめ、セミナーを開き、そしてスクールをはじめたのでございます。

さて、これからどーするか。
ふたたび潮風に晒されつつ想いをめぐらすのでございます。

もうひと頑張りして、運命学を伝えようと決めております。
しかし片足隠遁者としての生活にも捨てがたいものがございます。

潮風をうけていれば、きっと、電撃のようなヒラメキが脳髄でスパークするはずでございます。
いま、それを待っているのでありました。

運命学を占いテクニックだけでなく、「自由・健康・お金」へと結びつけ、さらには絶望した方々へ勇気のようなものを手渡せぬかと、分不相応なことを抱いておるのです。
この世はたのしいはずなのです。そうでなくてはなりませぬ。
一日五分でもイイわけでして、その五分が10分に、そして1時間へと楽しい時間が伸びれば面白いのであります。
快楽の時間というヤツでありましょうか。
その具体的なアプローチが浮かんでくるのを待っているのありました。