2017
08.22

そろそろ初代のパワボもお疲れ時期なので、重い重い腰を上げまして、パワボ二世の準備に取り掛かっているのでございます。

初代パワボから四年ほど経過し、世界情勢もかなり乱動しております。
人々の意識だって変化し、価値観すらも以前とは微妙に異なっているはずであります。
それで当然。

原則に忠実に、そして時代に合致したものでなければ無用の長物となりますです。奇門遁甲造作法の詳細の講義を待たれておりますが、そのよーな専門的な知識よりも、まずは役に立つものを…というコンセプトなのであります。

ちょっと前、
「日本の首相の奥方は英語も喋られない女だ」と米の大統領にバカにされっぱなしで、「んだば、おめの妻女は日本語でスピーチできるのか!」と反論するかと思いきや、すごすごと引っ込んでしまうほどの体たらくであることが、いまの我が国の惨状なのでございます。

江戸時代にもてはやされた蘭学が、江戸末期には「ドイツ語でねばわがねおん」あるいは「英語の時代だでゃ」と手のひらを変え、いまではオランダは麻薬を吸える場所以外には役立たずの存在となり果てたのでございますです。

その時代の先駆ともいえる長州の上空を、朝鮮国のミサイルが我が物顔で通過するぞと脅されても、ぼんやりとニヤニヤしている日本の中にいて、自分だけは安全に願望成就を果たすためのパワボ二世なのでございますです。

ちと大上段に構えてしまい話が極端になりましたですが、本当の願望は何にかを、自分の生活や職業によって見極めることが、とても大切であります。

お金だお金だと大騒ぎしても、勤め人であれば、金運の方位を刺激しても、現実には昇給することはなく、ただイライラがつのる結果になるからであります。

これ以上の解説は、講義内容に抵触しますから、差し控えますが、自分にとって幸運につづく扉は何だろうか…と考えるのは無駄な事ではございません。

2017
08.20

断易は予定より早く中等科に入りまして、中等科のテキストである「天玄賦通解」の解説へと移ったのでございます。
初等科の基礎的な知識を踏まえ、いよいよ本格的な断易の解読法を講義することになりましたです。

振り返りますれば、断易の講義は3クール目となり、講義にも慣れまして、初等科との深度の差のメリハリがくっきりと分けることか出来るようになったと、ちとイイ気分でございますです。

かつて師匠の鷲尾先生から「天玄賦を習うことで断易に開眼するでしょう」と言われ、張り切って受講したことを、なつかしく思い出すのでありました。
が、結果は惨敗。
さっぱり開眼することには至らないのでありました。
なにしろ、鷲尾先生の講義は禅問答の如くでありました。

「こうですか?」
と尋ねても、
「それは、いただけない…」
と首を振るばかりでありました。

やっと「ははーん」と開眼に近づいたのは10年後のことでございます。

そーいう時間のロスは何にもなりませぬから、私メの講義は、そのエッセンスをなるべく放出ししようとサービス精神で満ちているのであります。

漢文ばかりで驚いたかもしれませんが、これらを、ひとつひとつ占例とともに解いていくのでございます。
断易を独学でマスターするのは無理だというのは、こういうところにも理由があるのでありますです。

それにしても六時間の講義は、ちと辛くなっておりますです。
受講生の皆様も大変でございましょう。

頑張れるのは、おそらく断易を系統だてて講義しているのは、世界中で十傳スクールだけだろうという自負心があるからでありましょーか。

講義が終わりますと、背中の筋肉ががちがちに固まり、お酒すら飲もうという気持ちになれないのであります。ボードに書いては消すという動作が、これほどまでに過酷だとは思いもしませんでした。
最近は、受講生が消してくれるので大助かりであります。

亡霊のごとく、ふらふらと神田西口の商店街を駅まで歩き、途中のキャバクラの引き込みのネエちゃんをネトリと盗み見るくらいが楽しみといえば楽しみでございます。

2017
08.19

火事ではございませんです。
最新の電子タバコのけむりであります。

煙草の葉を使いませんから、たばこ税がかかりません。なので、格段に経済的なのでございます。

思えば、なぜ自分で煙草を自分で作れないのか、酒を造れば、どうして罰っせられるのか、ひとつも分かりませんです。

やがて、自家製の野菜も作ってはいけないという法律が出来るよーになるかもしれませんです。
高校の授業無償化とかいっても、つまりは予科練のよーなものになり、「さあ、戦争に行け!」と言われても文句も言えぬよーになるのであります。
「新しい政治を!」と代議士は叫んでおりますですが、それはいい迷惑でして、「今のままでいいのに…」「昔に帰れ」と反抗したくなったりもいたしますです。

加熱式もイイのでありますが、最新の電子タバコもバカになりませんです。

ただ、激しくは愛することはできませぬ。
「愛しなさい」と命じられていないから気づきませんけれど。

「国を愛しなさい」と命じられているのが変な気持ちであります。

「わだすをスギになっでよ」
と百姓のお女性から愛を求められているみたいで気持ち悪いのであります。
愛国心は命じられてそーなるものでは決してありませぬ。

腹立つことばかりでございますです。
災害時の避難所も同様であります。

災害があつたら、ここに集合と、茅ヶ崎ではトートの敷地となっておりますが、どこに避難しよーが私メの勝手。
津波の時に、自分勝手に逃げた少年が助かった事例を考えると、指定された避難所に集まれというのは、つまりは簡単に管理できるからなのであります。安全な場所という意味ではないのであります。

「こうしろ」と国に言われたら、従うのはバカなのであります。

徹底的に逆らうつもりでおります。

電子タバコ。
とてつもない将来性を感じますです。
マリファナに変わるよーな何かを混入させる余地のある、自由な未来を期待させる新しいタバコなのでありますです。