2017
08.03

近所に、店員の態度が横柄だと悪評のスペイン料理屋が出来まして、かようにオショシいイベントを定期的にするよーなので困っておりますです。

フラメンコダンスを形だけまねるサル民族。
どーしてもそういう意識が頭から抜けないのであります。
「いーじゃないの好きなんだからやらせておけば。意識し過ぎよ」と、お女性に呆れられたことがありましたが、サルが海外の文化に手を出すことに私メは顔が火照るほどの恥を感じるのであります。

それが、ジャズとかでも同じであります。日本人はジャズを演奏する資格はないとはなから決めておるのであります。それをナベサダだったか北関東出の男がしていたのでしたが、きゃつの代わりに恥じ入るばかりだったのでありました。

朝鮮人や中国人が恋愛したりすることも恥ずかしく、自動的に日本人には恋愛は似合わないとも思うのでありました。いわんや米国などの文化をそのまま受け入れ、これ以上ないというほどの笑顔で踊るダンサーどもの単純さに激しい羞恥を覚えるのでありました。

ギャッ、ギャッ、ギャッ!

その点、欅坂の仏頂面にはホッといたしますです。

スペインに観光旅行したとき、フラメンコの踊り子が、「手拍子はしないで」と冷たく言い放ったことに感心いたしました。「あなたたちにはフラメンコの舞踏はなにも分からないのだから」と。「黙って大人しくみていなさい」。でなければ帰りなさいとでもいうような態度に、「そーだ、この糞ザルども帰れやがれ」と拳を挙げたくなりましたが、私メもサルの一員であることに絶望し、首をくくりたくなったものであります。

用事があってさいわいに、茅ヶ崎の、そのフラメンコショーに行くことは出来ませんでしたが、もしも行くことがあったら「ぬげー」と騒ぎたくなる衝動を抑えることができるかどーか…自信がございませぬ。

日本人の文化水準とかではなく、そういうものに手を出す身分ではないのであります。
イモでも掘っていればよく、占いあたりが丁度いいのであります。んだんだ。

2017
08.01

iQОSに、煙草を切り替えて一週間ほどでございますです。

久しぶりに紙巻き煙草を懐かしもうといたしましたら、
「さよなら」
と、ドアを内側から閉められたような寂寥を感じましたです。

これが、何年も愛喫していた煙草だろうか…。
他人の味なのでございます。

「いろいろあったのよ、わたしだって」
「たった一週間で?」
「そう一週間で」

すみずみまで知っていたつもりのタバ子の他人の顔。

裏切りの代償なのでございましょう。

「おいおい、ちょっとちょっと。オレたちこれっきりかよ」
「……」
「そーいうこと?」
手を伸ばせばふれることのできる、まだ距離にあるというのに、断ち切られた永遠の距離の暗闇に、私メはうろたえるのでありました。

「…がんばるんだぞぉ」
ふふっ、とお女性は薄く笑い、視線を合わせようとしないのでありました。

そしてドアの閉じられます。
教会の鐘の響きに似た音であります。ピアノの一番低いキイの響きのようでもございます。

そのドアを足で蹴るしぐさをしましたです。足は空を蹴りました。

こういう時は紙巻き煙草が似合うのでありましょう。

それが煙草だろうと、別の何かだろうと、新しく一歩を踏み出そうとすれば、それまでの何かを裏切ることになるのであります。
心に傷を負いつつ、その痛みを笑顔でかくしながら、後悔なんてしないぞと、自分をふるいたたせるわけであるのでありましょう。