2020
01.07

昭和15年に、モリオカの此処に祖父ら一家が引っ越してきてから、観音さまを移動したのは、おそらく最初の事でありましょう。

昨日のブログでご紹介した観音さまは、祖父が、何かの資格を取ろうと祈り、
「合格の暁には、最初の給料で仏像をつくります」
と願をかけたものであり、親族の者たちはひれ伏して拝む、いわばオノ家の心臓なのでございました。

仏像を移動して、今朝の事であります。
「止まってらー!」
と老母が腰を抜かしておりました。
「とげいとげいとげぇー!」
時計は昨夜のうちに電池がきれたのでありましょーか。
死んでいたのであります。

空になった仏壇に、その止まった時計を安置した次第でございます。

「どーやら、まだモノノケがいるみたいだ」

この家の幾人かの死を見つめてきた仏像であります。
お客が突然死したときも、この仏壇の前。
ねぇやさんの亡霊が出たのも、この部屋でありますし、真夏の真昼間にスイカを食っていた時、「白い服を着た人が、軒下に隠れている」と叔母がさわいだのもこの部屋。三日後、行方不明の一人のねぇやさんが、山で白骨死体で見つかったのでありました。

祖父も祖母も父も、この部屋で通夜を執り行ったのでございます。

試しに電池を交換しましたが、案の定、時計が蘇生することはござませんでした。

 

2020
01.07

いつ、誰の結婚式だったのか。
実家を取り壊す日が間近に迫りまして、老母を近くのアパートに移すため、冷蔵庫や洗濯機などの家電を運び入れているのでありますが、TVテーブルから、幾本かのビデオテープを発見したのであります。

画像は、そのビデオテープのなかの一本で、
「ヤバイ奴がいるなぁ…」
と見ていたら、私メ自身の若かりし日の姿でございました。

このほかにもありましたけれど、恥ずかしいからやめておきますです。

共通して感じられるのは、目付のイヤらしさでございましょーか。発情したコヨーテのようなのでありました。

1月6日は小寒でしたから、作法通りに、実家の仏壇のなかの観音さまなどを、私メの部屋に招き入れたのでありました。
鑑定などで「竜神の法」としてかたることでありますが、仏様の移動にはキチンとした作法がございます。

むやみに動かすことは、冒涜することにつながるのであります。坊主を読んで、魂抜きとか、魂入れをするなどは、まったくの無駄。

そーいうことに疎いのが坊主なのであります。知ったよーで知らないのであります。それでいて、聞きかじりの説法をたれたりいたします。

呪い本をキチンと読みますと、その奥に含まれている共通した事項が見えてくるのであります。

コヨーテのエロ目をした者の方が、坊主より役に立つ場合がありそーであります。