02.09
断易に使う神蓍の、取り外しのできる押さえ木棒が、緩まったときは、何らかの改善をしないといけませんです。
いぜん、厚木市の、いまはなき百貨店のパルコで鑑定していた時、神蓍を振ったら、木棒が外れ、ガラスごと吹っ飛んでいき、エレベータの扉にあたり砕け散ったという、痛ましい過去をもっております。
神蓍の、この押さえ木棒は、使っているうちに緩んでくるものであります。
始めっから緩い場合もありますです。
これを改良するには、木工ボンドが有効であります。
画像の如く、木棒をはずし、角の部分にボンドをもっこりと塗るのであります。
そして、そのまま24時間放置して自然乾燥させればOK。
木工ボンドは乾いても弾力が残りまして、ギュッとセットすれば、完璧であります。
言わずともがなでありますが、ボンドが乾く前にセットしてしまうと、抑え木棒がガッチリとくっついてしまうので、その点だけは注意してくださいまし。
乾いたと思っても、セットして、うまくキツメに噛み合うことを確認しましたら、いちどふたたび外して、完全に乾燥させることが安全かもしれませぬ。
抑え木棒が、いちいち外れたり、緩いとですね、集中力が散漫になり、イライラするものですから、この改良は不可欠なのであります。
道具は、手になじむまでに、毎日使用していたとしても、半年はかかるものであります。
面白いことに、
「なんだコイツは!」
なかなか手になじまない道具ほど、あとで可愛くなるものであります。
これはお女性にも言えることかもしれません。
会うたびに、腹だだしくさせられるお女性ほど、手放しがたい存在になったりいたします。
あるいは、ベッドでもおざなりのお女性がいまして、
「まじめにセックスしろ」
と、お尻を二発三発、ひっぱたいて、それはプレイとしてのスバンキングとは別にですよ、ひっぱたいて、つまり駄馬を駿馬に改良していく成長の過程を観察するのが楽しくて、しだいに自分自身が知らずに、そのお女性にのめっていくのでございますです。
そして、駄馬ほどお金もかかるものであります。が、そーやって磨いたお女性が、たとえば街角で、たとえば電車で、すれ違う男たちが好色な顔で振り向かせる瞬間の、調教師としての私メの優越感を秘めた喜びといったらございませんです。
神蓍という道具と、お女性を同じモノとみなして失礼ではないのかというご意見があるかもしれませんが、
「同じモノとみなして正解です」
と堂々と胸張って宣言することができますです。
不完全なモノを直しているつもりが、不完全なモノを受け入れられるように、じつは自分自身が変化しているのかもしれません。
数個の神蓍とサイコロがあります。
真新しいものになじむませるために、
「こんどはお前の番だぞ」
言い聞かせながら、古い神蓍、古いサイコロと、交互に使っているのでございますです。
乾燥の時期はゆるみやすくなりますかね?
●十傳より→さーて、あまり変化はないよーであります。
先生、神蓍に貼る文字は、
なんと書くとよいでしょうか。
●十傳より→「バカ」とでも。
真摯に受け止めますです。
●十傳より→神蓍にですね。
しんしが砕け散った依頼者の運命と、その方のその後の鑑定がどうだったか、気になります^^
●十傳より→ガラス交換の心配しか考えませんでしたです。
無惨にも砕けたその様を見た依頼者の方、
さぞや驚かれた事でしょう。
今は、その時のことを思い出して
笑えるほど、お幸せになってるといいですね。
因みにその方を別の方法で
占って差し上げたんですか?
●十傳より→はい…タ、タロットで。
ユダヤ人の古くからの知り合いがおりました。
とても良く当たるイーチング占をなさる方で、
芸能関係者によく頼まれていたと後から聞きました。
本職は、舞台装置の監督さん。
でもその方は、気心の知れた友人だけ
無料で観るという趣味程度でとどめてました
すごく疲れるからと言う理由です。
そのうち、
君も勘が鋭そうだから
やってみたらと
英語で書かれたイーチングのお道具と説明書をいただきました。
今とても後悔してるのは、
何となくその方が
誰かに傷つけられるのでは?と言う漠然とした恐怖心があって、
小銭を振ってしまい、その事をこっそりと占ったのです。
良くない結果でした。
日にちを変えてまた占い直しましたが
何回も同じような不吉な結果しか出ませんでした
ええ、結局3年前
いきずりの頭のいかれた
薬漬け女に刺され、その方は
亡くなりました。
素人が生き死を観てはいけない掟を破った罰だと
自分を責めています。
●十傳より→人それぞれですが、なぜご自分を責めるのかなぁと漠然と感じましたです。
その結果を言って、忠告というか気をつけるよう言えなかったからです。
きちんと師匠について学んでいれば、自信を持ってイーチングの結果を言えたのにと
後悔しています。心のどこかで、占いに対する不信があるから
当たるも八卦、当たらぬも八卦と言う
小馬鹿にしてるものがあったからです。
悪い卦が出ればやはり、信じたくないとなってしまいますから
そして占いで回避の仕方も、
わからなかった(今もわかりませんが)ことも悔やむ原因です。
●十傳より→人によりという枕詞が、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の言葉にあるのであります。
永井荷風さんの梅雨のあとさきにも八卦に関して触れてますが、
やはり占いは素人がなまじやるものではないと猛反省してます。
わかってはおります
負の気持ちがブロックとなってること。
ですから
奇門遁甲も全く結果は得られません。(どうせダメと言う気持ちがあります)
負の気持ちを取り除ける方位があるならば
前に進みたい!
●十傳より→私メも占い師たちの中では、オカルトは信じない奴だと思われております。UFOとか幽霊とか、バカバカしくて笑ってしまうのであります。占いの中に潜んでいる、モノの見方、考え方だけは、これは学ぶべきであります。それこそが当たりハズレとは別の、開運っぽいヒントなのであります。
ありがとうございます。気持ちがまだまだ頑なではありますが、
こうした解答をいただくと、涙の出る回数が減りそうです。
ありがとうございます。
●十傳より→占いの底に流れる考え方は、ひとつの扉なのであります。