2011
07.26

神楽坂の坂の途中にある軍鶏料理屋で、打ち上げがあったのでありました。

「戦争を知らないオヤジたちへ」の本の打ち上げであります。

この本は三省堂あたりで平積みになっているとか。
もよりの書店にない場合は、アマゾンで購入していただくのが早いという担当の人のお言葉でありました。

まだ六時。外は明るいのであります。
そんなことには関係なくコース料理がはじまったのでありました。

飲み放題ということですが、学生ではありませんから、そんなに飲めるわけはありません。
しかし、お酒がヤケに薄いために、30分もたたないのに、はや四杯…というペースでありました。

今夜はご馳走になるわけですから、料理を撮影し、それをUPするのは気がひけます。
相手の手がらというか、そういうものを横取りするような気がするからであります。
しかし、UPするところに、私の無礼さがあるのであります。

「ところで…」
と飲み放題をやめて、個別のお酒を注文し、しばらくしてから担当の方が口を切りました。
個別の酒の美味いこと。
やはり、飲み放題はいけませんね。
もう一杯たのみました。
「オノさん、オノさん」
お酒に気を取られて、話しかけられたことを忘れていました。
「次の本は、占いでいきましょう」
こう持ちかけられたので、すこしむせかけて、
「それは、イイと思いますよ。できれば西洋占星術系で」
と、売り込んでみたのであります。

私は東洋系を専門にしていますが、じつは西洋占星術にも興味を持っているのであります。
会員さん向けのメールでは「今日は月と木星が合ですから…」なんて話題も発信しております。

いつになるやら分かりませんが、次は西洋占星術の本になるかもしれません。

帰りは、そうとうに酩酊。
足にきていました。
東海道線ではブーツもソックスも脱いで、周囲のひんしゅくをかっていたようであります。

2011
07.26

何ごとにも予兆があるものであります。
先日、自転車のチェーンが外れました。いちどは自分の手で修理したのですが、ダメでした。

これを予兆と受け止めたのであります。

たとえば、タロットカードを並べ、その絵札で占ったりいたしますが、さいしょの一枚に、なぜ、その絵札が出たのかということを、私はとても重要視いたします。
それは運命の細胞みたいなものだと解釈するからです。

恐竜の化石などを調べるとき、ほんの小さな骨から全体の大きさを推測するそうですね。
カードも同じです。
この絵札は、運命の、足の小指なのか、鎖骨にあたるのかを推測し、そこから大きな運命の流れを読み解くわけです。

自転車が壊れたことも、カードの絵札みたいなもので、迫りくる運命のある象徴的なことを、自転車の故障として提示されたと見たのです。

そういうときに、さいきんの懸案である企画が前進し始めたのであります。
いままでのスタッフではどうしても行き詰まってしまっていたことが、別の人物にサポートを依頼したところ、いともスムーズに動き出したのです。

それが昨日のことであります。
画像は調布の布田天神通り。

この近くでの打ち合わせでありました。
調布にはかつて10年ほど暮らしたことがございます。
が、そこは知らぬ間に発展し、異国の地でありました。

自転車の故障は、運命が、つぎのステップにさしかかっていることを示唆するものかもしれないと感じたのでありました。

この自転車では、新しい運命を乗り切ることはできないとおもいました。
それは自転車に限ったことではなく、すべてにおいてであります。新しい人間関係、新しい分野、新しい試み……。次なる展開、次なるスタート……。去る者は追わず、来るものは拒まず……。こういうことを意識して実行することが大切だと、運命は自転車の故障を通じて伝えているのだと、まぁ、大げさではありますが、感じ取ったのでございますです。

タロットカードや筮竹はたんなる占いの道具。
あらゆる事象は何かの予兆だととらえれば、占いの道具にこだわる必要はないのであります。

新しい自転車を買いに行ってきます。