2012
04.17

かつて軍艦島には五千人の人が暮らしていたということです。

これは当時の写真でございます。
真ん中の階段は通称「地獄階段」。
島内マラソンのコースに入っていて、きつい傾斜を駆けあがるのにひと苦労だったということはひと目で分かりますです。
なので、地獄階段なのでありましょう。

軍艦島をひとつの恋の記憶と考えれば、恋愛の本質に迫ることが出来るかもしれません。

出会いから成就まで、それは夢見るような気持ちで、日常のごく普通の景色さえ、新鮮に感じられるのであります。
たとえ、それが未来のない禁断の恋だと分かっていても、心が弾み出すことをどうにも抑えることは出来ないのであります。

恋が成就してから、しばらくは蜜月の時を満喫するのであります。

が、やがて亀裂が入ります。
本人たちは、まだそんな時ではないはずだ、なぜ、こんなにも早く苦しみがはじまるのかと、うろたえるのであります。

自分の心と、相手の心を比較して、情熱が激しいのは自分の方だと、不満を持つのもこの頃でありましょう。

相手を裏切るのも、こんなときなのでありますが、裏切らなくても、お互いの心の温度を探りはじめるのであります。

人は人を求めて集まり、人は人に傷つき散っていくのでありましょうか。
かつて激しく愛した、その愛の廃墟というわけであります。

やり直そうと何度かは頑張るのですが、頂点を越えてしまった恋は、もはや滅びるしかないのかもしれませんです。

滅びた方が美しい場合もございましょう。

とっくに気持ちは醒めているのに、断ち切ることのできない関係も多く例をみることができるのであります。

孤独に堪えられるかどうか。

軍艦島のように、孤独になることを選んだ恋は美しいのかもしれません。
現実は、恋に美しさを求める方が間違っていたとしても…であります。

それでも胸のなかでフォルダー化された孤独の恋を、あるとき、たとえばお酒の酔いにつられて開いてみましても、思いのほか風化しておりまして、思い出すのは一つか二つの記憶。笑いあっていた声が、頭のなかを通り過ぎるだけでございます。

淋しいという孤独にかがみこみそうにはなっても、すでに恋の傷は消えていたりするのであります。

「もう六年も、わたしたち続いてるよね」
「そんなになるか…」
「いつまで続くのかしら」
「さあなぁ」

腐敗しながら持続する恋は、新たなる相手の出現を心待ちにしている関係なのでありましょう。

ひとりで生きるという孤独は、深夜、ぞっとして誰かにしがみついていないと眠られない不安との戦いなのでありますです。

はやく死んでしまうか、いつまでも若くありたい。

軍艦島という廃墟は、そういう人間の矛盾した無理な願望の本質に、すこしだけ気づかせてくれる場所なのでありました。

2012
04.17

廃墟好きな私メの長年の夢が実現いたしまして、このたび長崎の端島…いわゆる軍艦島にいくことができたのであります。

軍艦島にいこうと予定を立てても、海が荒れて島に上陸できる確率は70パーセントとか。
上陸できてもほとんどは風が強く、10メートルの堤防を波が乗り越えて、見物どころではないということでありました。
が、なんと海はごらんとおり鏡のように鎮まっているのでございます。

伊王島から、船に乗ったのは20人ほどでありましょうか。
みな「これは奇跡です」などと語り合っていました。

しだいに近づく軍艦島の、戦艦「長門」のような異形にこころが震えるのであります。

世界遺産を狙っているらしく、上陸するためには誓約書を書かせられ、「真面目にするんだぞ」というような顔で係の人に睨まれたのでありました。

だいたい40分程度の船旅で、軍艦島に到着。

ちいさな島であります。
周囲は二キロほど。
ここに五千人も島民がいたそうであります。

セックスとか大変だったろうに…と、ついいつもの心配があたまを過ぎるのであります。
浮気とかどうしていたのだろうと。

どの世界にも愛慾はつきものであります。

いや、愛欲のために人間は戦いの人生を強いられているのでありましょう。

そういうドロドロした世界につよく惹かれながらも、その世界が滅んでしまった、このような廃墟に心を落ち着かせることができるのであります。
どちらも、同じことなのかもしれませんですね。

私メも、アマチュアカメラマンに混じって、廃墟を写したくらいにするのでありました。

他にすることもないのであります。
こういう場では、もうひたすら撮影していればいいのであります。

そして、島はすでに夏の気候。
暑いのでありました。

けれど、この海と廃墟につつまれていると、東京に戻りたいという気持ちになれません。

西海の旅行はまだ続くのであります。

2012
04.14

不思議なこともあるものであります。

仕事を切り上げ、地下鉄東西線で大手町に向かったのであります。

視線を感じ、ふと顔を上げましたら、向かいの座席で微笑している老美人がいらしまして、
「お、ホヤ柳さん」という言葉を飲みこんだのでありました。

昨年、イタリアに行っていたとき、人ので旅行していたエレガントなご婦人となんとなく知り合い、「ではワインでも」と夕食をいっしょに、というなりゆきになったのでありました。

画像がそのお方であります。
名前は存じません。
こちらも名乗りませんでしたから、でもそれでいいのであります。

ホヤ柳さんという仮名は、髪型が黒柳徹子に似ていたからでした。黒柳の髪形をパイナップルと呼ばれていた頃がありまして、では、海のパイナップルということで、ホヤ貝のホヤ。ホヤ柳さんなのであります。

しかし、地下鉄でホヤ柳さんは、驚いたには違いありませんが、イタリアのときと同じように「まあまあ、やっぱり」と嬉しそうにはなし始めたのでございます。

大手町までは駅で四つ目。
瞬くうちに到着であります。

「じゃぁ、またね」
「ええ、また」

と、一瞬の邂逅でございました。

もしも、ホヤ柳さんが、あと60才…いや50才も若ければ、「ええ、また」では終わってはいなかったでありましょう。
画像のイタリア娘のようであれば、大手町では降りずに、せめてメアドくらいは聞きだしていたはずであります。

でも、こういう再会は嬉しいモノであります。
確率からすればゼロに等しい再会であります。

どうせなら宝くじに当たった方が良かったのに…とは思ったはみても、本気で悔やんだわけではなく、再会の喜びは、あとからじわじわと沁みてくるのでございました。

連絡先を教え、そこからドラマは始まるのでしょうが、ドラマを求めているのではなく、旅行先での謎のイメージを大切にする関係もまた貴重なのであります。

ーーめぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かなーー 紫式部

「仲良しだった人とめぐり会ったけれど、その人かどうかハッキリとたしかめる間もなく、まるで真夜中の月が雲に隠れてしまうように、その人はあわただしく行ってしまいました」

まさにこのような再会なのでありました。
そのあとで、あわててロト6を買ったのでありますです。