2012
05.17

実家の庭の老木であります。
庭師は申しております。
「なかはすっかり空洞でがんすよ。風が吹いたら、いつ倒れてもおがしくながんすよ」と。

しかし、このミズキは、私メの幼き時から、同じ場所にそびえておりました。その時分は木も若く頑丈でありまして、登って昼寝などをさせてもらったこともある大木なのでありますです。

危険だからと切り倒す気持ちにはなれませぬ。

近所でも土地を売り、建て売り屋どもがよってたかって古い樹木を切り倒しておりますが、樹木のない場所は、ひどく痩せて狭っこく感じられるのであります。

たとえ、いつ倒れて、危険な目に会うかしれませぬが、このまま倒れるまで、いや、倒れてもそのままにしておこうと決心したのであります。

ホクロも同様であります。
悪いホクロだからといって取り除いてもいいのか。
そうではありますまい。
「この点を、お前は気をつけなければならぬのだぞ」と教えるためにホクロがあるような気がするのであります。

ホクロを取れば、自分ではなくなるのであります。
自分を愛せないお方は取ってもイイのでありましょうけれど。

いやいや、自分には飽き飽きしているケースが多いかもしれませぬね。

今年はまだ来ませぬが、老木のウロを渡り鳥が巣にするのでありますよ。
上手く羽化し、カラスの攻撃を免れるのは数羽でありますが、それでも老木は、なかなか味な住まいを提供しているのであります。

こういう老人になれれば最高でありましょう。
余裕と威厳を保ちつつ、わずかでも葉を茂らせ、夏の暑さをやわらげ、冬には枯れ果てて暖かな陽光を部屋にとりいれるような、枯れた大木にふかく憧れるのであります。

しかし、間違ってはいけませぬ。
若いオナゴを飼いならして…。という意味でありますよ、もちろん。