05.03
忘れてやることができなければ愛されないのであります。
記憶力を誇るようでは、愛想を尽かされるのは時間の問題かもしれないのでありますです。
「今日、あなたのお母さんの誕生時日じゃないの?」
とか、付き合っているお女性から教えられたことがございます。
そういうとき、男どもはきまって、
「ああ、そうだったなぁ」
と無感動に答え、なぜか緩慢な動作でトイレなどにたつのであります。
好きなお女性でも、そういうことを正確に覚えていられることに男は理由も分からずイラっといたします。
「いま、あなたの卒業した上田小学校がNHKのニュースに出てるわよ」
「ゴー(かつての愛犬)くんの命日よね」
教えてくれるのは、お女性の好意にちがいありません。
「ありがとう」とお礼を言いながら、何か大切なモノを汚された気がするのであります。
お女性に、母の誕生日だの小学校だの愛犬のことを告げたのは、それらを覚えて欲しいためではなく、それらのエピソードを黙って聞いてくれる相手がこころよいからであります。
想い出というのは自分だけのものという意識が誰でもあるはずであります。
それを語るのは自分の想い出の再確認なのでございます。
記憶されていてわざわざ教えてくれるという好意に対し、しだいにイライラするのは事実なのであります。
と、同時に「コイツとは長くは付き合えない」と自分でも知らない心の深いところから、そういう黒い気持ちが湧きあがってくるのでございます
「ゴーくん死んだのいつだっけ?」
「どこの小学校だったっけ?」
せめてと聞いて欲しいのであります。
遠慮がちにそう聞いてくれれば、想いを土足であがられたような汚された気持ちにはならないのでありますです。
たった、コレだけでありますが、その差は大きいのです。
鑑定を通じて、男に去られるお女性、いやいや、お女性から嫌われる男たちは、すべて記憶が良すぎることで共通しているのであります。
バカにならねば愛されませぬ。
とは言うモノの、
「いまごろのモリオカはね」
と語り出すと、
「かぁっ、またその話かよ、前も聞いたよ、桜が満開だっつう話だろ」
こういう態度のお女性もまた捨てがたいのでありまして…。
愛れるために相手のことを何でも知ろうとし、その気持ちを相手に理解させようとする態度が危険なのかもしれませんですね。