2012
07.20

明治維新に懐疑的な私メは、西郷さんの銅像の前で考えるのでありました。
「こんな身なりで良いものか」と。

盛岡藩、つまり南部藩の青年家老、楢山佐渡は、幕府につくか、薩長側に味方するかで、藩内の意見が二つに分かれた時、じきじきに京都に出向き、西郷さんと面会したのであります。
そのときの西郷さんの服装がコレ。

楢山佐渡は「失礼なヤツ」とばかり、藩に戻り「あれは武士ではない」と幕府側についたとか。

銅像をみて、たしかに、この身なりは問題なのかもであります。

維新といっても、下級武士の下剋上に過ぎず、百姓たちは、
「ほぇぇ、なんでも御政道が変わるらしぞ」
「ちゃっちゃっちゃ、徳川さんも終わりっつうことなんだべな」
「御一新というんだどさ」
と、のどかに田植えをしていたことでありましょう。

この上野の山を、彰義隊の連中が、刀をさげて走り回っていたのでありましょうか。
じつに、悔しかったでありましょう。

靖国神社には、戊辰戦争で死んだ官軍はまつっても、幕府軍の死者はまつられておらず、会津では死体は見せしめのために、そのまま放置されていたとか。
会津戦争の、官軍側の総大将は、板垣退助。

などなど、考えつつ、上野から東北へと散り散りに逃げた方位を探ったりしていたのであります。

坂本龍馬が、姉に書き送った手紙は300通。
それらを眺めつつ、当時の郵便料金はいくらかと調べたら現在の10万円ちかく。
すさまじい費用であります。

キャツはイヌだったのだな。
やはり殺されなければならなかったのでございましょう。
船中八策は、幕府の下書きがあり、勝あたりから情報が流れたのでございましょうか。
だから慶喜が、大政奉還を飲んだのでありましょう。
それをまんまと裏をかいたのでありますです。
刺客に襲われて仕方ありますまい。

じつは、占いで明治維新を解いてみようと思っているのでありますです。

などとも思いつつ、気づいたらヘトヘトになっておりました。

なにごとも、おわってから気づくものであります。

画像は、トコロテンを食ったあとであります。
「しまった!」
とシャッターを押しましたが、後の祭り。

疲れた時や夏バテには、トコロテンでございます。

2012
07.19

十傳セミナーで、そういえば、お酒が苦手なお方がいらしたのを思い出したのであります。

酒の話ばかりでは、なんなので、ちとお茶の入れ方のコツをお話いたしましょうか。

お茶といっても煎茶でありますよ。
夏の昼下がり、熱いお茶は風流であります。
カラダの中にそよ風かたつような清涼感がございますよね。

が、美味いお茶がなかなか淹れられないのであります。
高いお茶を買ってきても、ダメ。
熱湯ではダメだろうと、いちど別のうつわでお湯をさましても、ダメ。

簡単であります。

画像のように、グラスで底から二センチほどの水をお茶っ葉にぶっかけるのであります。

するとお茶ッ葉は、
「あうっ…!」
と思いがけない刺激に身をよじりますです。

そしたら、あとは熱湯をビジョビジョと注ぐのであります。
「ううっ、しみるぅ」
お茶っ葉は悦びの声を上げるのでありますです。
「どうだ、もっとか、こうか」
としつこくする必要はありませんです。

しずかに湯呑にそそぐだけ。
「あああん、その、じょろじょろやめないで、もっとうんとやってよぅ」
と呻かせても、あとは普通の注ぎ方でOKでありますです。

まず、お試しくださいまし。
それはそれは、肉体のすみずみにまで緑の風が吹き抜けていく体験をするはずでありますから。

水です。
水を最初に入れるだけ。

利休メはこれを秘伝としていたのでありましょうか。

この茶を味わったら、もはやペットボトルの癌の元茶は飲めませんです。あれをのんで何度、藻屑現象で酷い目にあったことか。

心が騒いだとき、一喫しなされ。

シュークリームとも良く合いますぞ。

2012
07.18

すでに、いつもの夏の二倍の量のビールを飲んでおります。

もっとも、私メはビールをほとんど飲みませぬ。ひと夏に10杯も飲まないでありましょう。

それが、今夏は20杯は飲みほしているのてございます。

じつはーー
このビール、「梅酒」が混じっているのでございますです。
つまりビール割りの梅酒というわけでございますです。

美味いのでございます。
これを飲んだら、普通のビールはモノ足りませぬ。

その代わり、ズキン! と効きます。
ジョッキ一杯で、けっこうな酩酊をおぼえるのであります。

裏メニューでもなんでもなく、私メの特注なのであります。

暑さが尾をひく宵にかけて、このビールは喉をジワめかせながらドロリと胃へと降りていくのであります。

魅力的な悪女を発見した気分でございます。
今夏は、この悪女と過ごしそうであります。