2012
10.28

震災で目立った被害はなかったものの、しかしモリオカの景気の悪さは尋常なものではありませぬ。
おかげで飲み代は安くあがるのであります。
けれど、ゆっくりと復興の機運も感じられるのでありました。

いまこそ震災の地から新しいジャンルの音楽が誕生してもいいように感じられますです。
外国からの借り物のジャズとかそういうモノではなく、瓦礫で新しい楽器をつくりだし、その楽器が奏でる新しい音楽。
カンツォーネに対して、その新しいジャンルの音楽を「サムライ」とか「ゲイシャ」と名付けてもイイでありましょう。

そして、その音楽はライブでしかやらないとか、観客に手拍子を禁じるとか、そうやっていままでにはないスタイルをこしらえても面白かろうと、川べりの道をそぞろ歩きながら妄想するのでありました。
利益をいったん頭から消すことで、新鮮な何かが生まれるのだと思うのでありました。

「儲からないんだよね」
と、昨日、店のオーナーがこぼしておりました。
「じゃあさ、血液型を利用してみたら?」
「どーやって…」
「今夜はB型の人は三千円とか、店の前に貼りだすとか」

私メにとって郷里は魂のクリーニングにひとしいのでございます。

夜の会合までの小一時間を、川べりの風に吹かれているだけで、心が透き通っていく実感に充実感を覚えるのであります。

都会にはない店、季節に疲れた枯れ葉の匂い、暗がりのひかり。

道ばたに転がっている人形。
道ばたに転がっている片手のない人形。
道ばたに転がっている片手のない黒い瞳で私メを見ている人形。
道ばたに転がっている片手のない黒い瞳で私メを見ている、かつて恋をした女の子に似た人形。
道ばたに転がっている片手のない黒い瞳で私メを見ている、かつて恋をした女の子に似た人形が、なにかを訴えているようでありました。

体内のおくで、新しい音楽が途切れがちに、低く、あるいは軽快に、ときには重たく、魂をゆさぶり、それは情熱というなにかの導火線に火をつけたようであります。

枯枝がざわめき枯れ葉がガサッと音のない音で舞い散ります。
つぎの季節の到来を予感させる夜でありました。