2015
02.14
今年も全国津々浦々からデブの元を贈っていただき、私メは幸せ者でございますです。
画像に載せきれないモノもございますが、そちらは申し訳ございませんです。
それから、奇門遁甲初等科もお申込みでもはや定員が満杯となりましたので、本日をもって締め切らせていただきますです。
いやはや、自分でも大丈夫かなと心配ですが、それは私メ自身のことですから、穴の開いた大船に乗った気分でご安心くださいまし。
また、いままで書籍を出版社に任せておりましたが、それだけでは不十分な点がございますゆえ、自分でも本づくりをしようかと、ふと気づきました。
とくに断易は門外不出の分野や、私メ独自で開発したことなどございまして、講義のテキストというより、全国のみなさまに向けての手抜きなしの一冊……いや十冊ほどに及ぶかもしれませぬが、本気で製作しよーか、などと真剣に考えたのであります。
ますますキチガイになりそうでありますが、よろしくお願いいたしますですよ。
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2015
02.13
おかげ様で、奇門遁甲実践科は定員をややオーバーしまして、締め切らせていただきました。
ありがとうございますです。
奇門遁甲初等科は、あとほんのわずかでありますがお席がございます。
さて、散歩の途中に、個人経営の学習塾が閉鎖されておりました。すでに住人の姿はなく、「売物件」と表示看板が無造作に置かれているのでありました。
たしか二年前にどこからか移ってきたご様子でしたが。
月謝を住宅返済に充てようと考えていたので衝が、生徒さんが集まらずに、このありさまとなったのでございますでしょう。
月々の返済がとどこおると、銀行は鬼のように家を取り上げるのでございます。はじめから、そのつもりだったかのように。
頭金も何も、問答無用で「ほれ契約書にその旨を書かれ、ちゃんと実印も押しているではないか」と取り上げるのでございます。
はじめから、そのつもりというのは根拠がないわけではございませぬ。
この家は北西に欠けがございました。
事業家にとって北西の欠けの家に住むことは、致命的と申して過言ではございませぬ。
威厳が損なわれ、そこから商売が進まなくなるのでごさいますです。
たとえ奇門遁甲で吉方位に引っ越ししたとしても、家相に問題があれば、このような悲劇的な仕儀となり、まんまと銀行の謀にハマってしまうのであります。
格差社会はさらに肥大し、ここに住んでいたはずの家族は、いまいずこ。
「ああ津波が来て、この世が終ればイイ!」
と心で叫んでいることでありましょう。
銀行が家相を採用しているかどうかは分かりませぬ。が、建築家は少なくても気学の知識は持ち合わせておりますです。
「住人がローンを払えなくなる家を作ってくれ」
と命じられれば応じないわけにはいきますまい。
隣の家も同様に北西に欠けがございますから、早晩、家を手放すほどの苦労に見舞われることは避けられないのであります。
サラリーマンで一生を送るのであれば問題はありますまいが。
世間では、家相など占いと聞くと「当たらぬも八卦」とか小ばかにしますが、本気で幸運に浴したいならば、なぜ、信じる信じないとは別に、占いというものも採用しないのか不思議でなりませぬ。
わずか三十、四十年しか生きていない者たちの信じる信じないなどガキのたわごとであり、感情論にすぎませぬ。
占いをやっている私メも時々[こんなことをしていてイイのか」と思うことがありますが、この世にたしかな頼るべきものなど何もないのであることを思い出し、「これでイイのだ」とさらに占いに耽溺しているのであります。
科学も宗教も医学だとて分からぬところがたくさんございます。
それらの達人たちは「自分の論こそ正しい」と信じ、また信じなくてはいけませぬ。けれど普通一般の人々の信じる信じないは根拠がないのであります。
幸運を得るためにやり尽したかと振り返った時、家相や方位などでやり残したことに気付いたならば、ぜひともチェックすることをお薦めいたします。
夜逃げの悲劇を招く前に。
首を括る前に。
大金持ちの罠にかからぬ前に。
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2015
02.12
精神病院にいけば、もっともらしい病名をつけられることでありましょう。
今年になって頑迷の度合いがますます色濃く出ていることを実感するのでありました。
年齢のせいだとは重々に自覚しております。
相手の発言から、その発言に隠された心の狡さが感じ取られ、あるいは次の発言がどのようなものであるかが手に取るように分かってしまい、いっぺんに気分が塞がれるのでございますです。
相手もまた自由な人間の一人なのだから勝手に言わせておけば良いと思うのでございますが、その余裕のある対応と根っこのところで潰してやりたい気持ちが頭をもたげるのでございます。
子供がうれしそうに持っている風船を破裂させたいというような気持ちに似ておるのであります。
やがて震災から四年。
おそらく三流どもが被災地に来て下手な音楽などかき鳴らすのではあるまいかと想像しただけで怒髪してしまうのでございます。
被災地の入り口で仁王立ちになり、「来るな!」と両手を広げたいものだと、あんがい本気で空想しては、ひとり興奮するのでございます。
それでも来たならば、オレンジ色の仕置き服をきせ、右から順番に処刑してもいいだろうなどと考えては顎髭をさすったりなどしております。
でっちり一族もきてはなりませぬ。
「来ねくていいのはオメだでゃーん!」と地元のなさけない被災者に言われるのは目に見えておりますですが…。
愚かでございます。
すべて私メの妄想に過ぎず、妄想にカッカと熱くなってもいたし方ございませぬ。
と、頭を冷やそうとおもてに出ましたら、枯れたはずの薔薇が蕾をふいているではございませぬか。
春のようでございます。
頑迷の年の始まりでございます。
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