2020
07.27
手相セミナーAを募集いたしますです。
完全リモート講義でありますから、わざわざコロナ蔓延の東京にお出ましならずとも、ご自宅で受講できるのであります。
8月22日(土)、23日(日)の両日。
11時から14時までの、それぞれ三時間なのであります。
受講料は二日間で、15,000円+消費税=16,500円であります。
「やるぞ!」
と決断のお方は、「お問い合わせ」からお申し込みください。
手相セミナー初回の方は、かならずご住所を記載してください。
テキストを送付いたします都合上です。
お申し込みの締め切りは、8月10日にさせていただくのであります。
内容は、各丘の解説であります。
金星丘、木星丘、土星丘、太陽丘、水星丘、月丘、火星丘の七つの丘の現れるサインを中心に、内容をググッと深めていくのであります。
■月丘の下の部分までを覆うグリル
腸のトラブルです。腹痛などを伴う風邪の場合があります。色で判断してください。赤黒い色をしている場合は、重大な胃腸の病気の暗示です。手の赤い人は肝臓など内臓が疲弊している人が多く、そのホトンドがアルコールを摂り過ぎていることが原因です。
■太陽丘にスターだけがある予期しなかった大金を掴める暗示とされています。ただ富は、成功が確立したあとに到来するために遅れる可能性があります。スターだけがポツリとあるのは、奇跡的な幸運が訪れるという意味合いが深いことに留意しましょう。太陽線がある場合は、幸運の到来を察知しているために、その幸運は当然に来るべきものなので、奇跡的な幸運という喜びは、いくらか弱められるものです。
など手相の医術的なアプローチから運勢という占いへと切り込んでいくセミナーなのであります。
テキストは「The Study of Palmistry for professional Purposes」ComteC.Desaint-germainという手相学の原書を翻訳したものからの抜粋を底に敷いています。この原書の完訳は十傳事務所によるものです。
数年前にも同様のセミナーを実施していますけれど、手相セミナーEのように、口を滑らせて「色情人相」にも話が及ぶことは必定でありましょう。
さぁさぁ、東西とーざい。
募集前から、すでにお申し込みの方も10名ほどいらっしゃいますぜ。
手相から、得意の占いへと導入することも可能ですし、だいたい易者を目指して、
「手相は分かりません」
ではお話になりませんです。
ではヨロシクであります。
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十傳スクール /
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2020
07.26
同じ道を同じ時間に、同じよーに小高い丘の教会まで歩くのでありました。幼稚園のころには、すでにこのロシア正教会の建物がございましたから、屋根の十字架を眺めているだけなら昔と、そんなに景色は変わりませんです。
田圃だったところにはバイパスがとおり、車関係の販売店が並び、うっそうとした林や、畑は、住宅にかわっておりますです。
教会の扉には、疫病関係の注意書きが貼られております。
ちかくに小学校の同級生の家があったことを思い出し、のぞいてみると、
「佐々木」
と表札が出ていましたから、佐々木君はずっとここにいるのだなと思いました。もっとも本人は死んでいるかもですが。
しばらく教会の下の桜の木の下のベンチに座っておりました。
日本の神社仏閣は苦手でありますが、教会は心を落ち着かせてくれるので好きであります。キリストの誕生から復活までを描いた絵画とか、窓から斜めに差し込んでくるステンドグラスの光とか、木造の長椅子とかはグッとくるのであります。
信者ではありません。聖書には東洋人に対してのひと言も書かれておりません。人間とは見ていないのでありましょう。そこがイイのであります。教会内で冒涜をしても罪悪感どころか、愉悦が勝ることでありましょう。ただ教会というたたずまいがよろしいのであります。
きゅうにウンコがしたくなりベンチを立ちましたです。
張り紙が目に留まりました。寿司屋の張り紙です。
「しばらくの間、休業いたします」
事実上の店仕舞い。
「ありゃーん」
便意を我慢しつつ、誰も見ていないのにガクッのポーズをとっていました。我ながら古いのであります。
先月の十傳セミナーDが終わったとき、この寿司屋のちらしずしを食べたのであります。
大雑把すぎる盛り付けでありました。
五センチほどのマグロや鯛やハマチなどが無造作にどんぶりに盛られているのであります。
どーやって食ったらいいのか分かりませんでした。
刺身類をすべて別の皿に外しましたから、酷いものでした。
すでに店主は自棄になっていたのでしょう。
感染者ゼロのモリオカにも、下品な中国人がもたらした新型肺炎の影響は出ているのであります。
アーメン。
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2020
07.24
日が沈んでから本宅に幽霊を呼びに行きました。
「おーい」
家具のない屋敷に、自分の声が響くだけでありました。
幽霊の気配は、まだございません。
が、どこかに潜んでいるのは間違いないはず。
ずっとまえの夏。
中学生だったころに、友人と山寺に泊まり込んで人魂採集を試みたことが思い出されましたです。
曽祖父が住職をしていたという山寺で、斜面に墓が並び、その斜面の階段を人魂が一段ずつ上るようにあがっていくという話を真に受けたのであります。
昆虫採集の網を三つも担いで徹夜で待ち構えていたのに収穫はゼロ。
やぶ蚊にいくつも刺されただけでありました。
この家を取り壊す前には、しかし、たしかに幽霊はいたのであります。
玄関で草履を脱ぐ音くらいは誰でも聞いていますし、姫鏡台にはおかっぱの女の子が横切る姿も。
死んだ姉やさんが幽霊となって叔母の枕元に「げねや~(調子がわるいのよ)」という表情で座っていたという話も聞いております。
真夏に、白い服着た幽霊が、みなが茶の間でスイカを食っているときに、
「あっ」
叔母が指さすと、その時だけ身をそらすように隠れ、またスイカに視線を戻すと、
「そら、また」
白い姿で現れたということも。三日後だったかに山で遭難した、貸家に住む、その人の白骨が見つかったという偶然。
あるときは掛け軸のおもしの風鎮が風もないのに床の間にコツーン、コツーンと当たる音が。
すると翌朝に、となりの人が、
「いままでお世話になりました。今朝、親父が」
訃報を告げに来たことも。
幽霊を待っているわけでは決してありませんが、闇のまた闇のない家は、魂の入っていない仏像のよーで味気がございませんです。
このあたりに亡父の血を吐いて死んだ場所だ。ここは祖母の棺桶を置いた場所だ。ここで祖父の棺桶に釘を打ち付けたな。ここは来客が突然死した居間のあった場所だ。死んだ叔父がこのあたりに、いつも座っていたな。
いまは新築の匂いがするばかりであります。
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死の扉 /
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