2020
07.16
みんな、いったいに何をしているのだろう…。首を傾げる時がございます。
となりを走る電車をのぞき込み、
「一生、会うことも、話すこともないに違いない」
しかし、
「もしかすると、やがて重大な人物として会う時がくるのかもしれない」
同じ時代を、死に向かって時間を費やしているわけなのでありますが、たぶん一分後には、覗き見たことすら忘れているのでございましょう。
もちろん、会いたいのではありません。
人間関係を絞りに絞り、可能な限り、交際を広めたくはございません。
賀状も暑中見舞いも出さず、着信履歴を確認はしますが、こちらから連絡することはきわめて稀なのであります。
ふたたび新型肺炎が全国的に息を吹き返し、首都圏ではヤバイ状態になっております。
都知事のオバちゃんも、選挙に勝利したとたんに、興味が失せたよーな対応。
二月三月よりも事態は重大な局面を迎えていることは、少しくらい霊感のあるお方なら直感しているはずであります。
「なぜモリオカに屋敷をオッ建ててしまっているのか…」
昨年からの疑問でしたが、答えが出ているよーな気がいたします。
当初は東京五輪からの逃避のためではありましたが。
一歩、足を誤ると、疫病に感染するというのに、
「たまには飲もうよ」
「いっしょに仕事をしよーよ」
勤め人でしたら、多少の給与保証はあるのでしょうが、私メは、そーはいきませぬ。翌日から大ピンチに見舞われるのであります。すべての誘いを遮断し、しかめっ面をして絆を断ち切っているのでございます。
お女性の誘惑にも、残忍な心で対応しているのでございますです。
若い方々は、さぞ苦しいと思いますけれど、そこは老人でございますれば。
人々はマスクに手洗いという原始的な処置をすれば大丈夫だとでもかんがえているのでありましょーか。
鎖国的な気持ちが必要かと存じますです。
さーて、これから梅雨が明け、台風が接近する季節であります。
逃げ場をいくつか定めておくべきかと。
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2020
07.14
何年も前にUPした、ガキの頃の私メであります。
犬とともに生活してきましたが、いったい何匹の犬たちの死を見てきたのか。
が、この犬、名はローリーだったと思います。
コリー犬でありました。
生まれて初めて、身内の死を目の当たりにしたのが、このローリーの死でございました。
初冬の、霜の降りた寒い朝に、犬小屋で死んでいたのであります。
「すこし苦しんだよーだ」
祖父もまだ生きていて、ローリーの食いしばった歯を開いて見せたのであります。
それから、祖父と父と三人で、自転車の荷台に括りつけたローリーを、ちかくの丘に埋めに行ったのであります。
スコップがこすれる音や、そのスコップで土を掘る、草の根の切れる音を思い出します。
埋め終わってから、祖父と父は無言でタバコを吸っておりました。
犬は、みずからの死をもって、死という現実を飼い主に教えてくれるのでありましょーか。
犬の死ほどの慟哭はございませんです。
旧約聖書にある、バベルの塔を、神が破壊し、「人間を各地にバラバラにした」ことと、「バラバラの言語」を用いさせたことを、ながいこと不思議に思っておりました。
が、このたびの疫病で、密集を避ける意味が分かりました。
しかし、別々の言語を使わせる意味は疑問のまま残っておりましたです。
人を、犬ほどには愛せない自分のなかに、その答えがあるのかもしれませんです。
言葉が、人を拒否させ、恨み恨ませる元凶ではないかと。
食欲と睡眠欲と性欲の三大本能を満たすことが幸せであり、そのほかの金銭欲や名声欲などは、むしろ不幸の入り口になるのかもしれませんです。そして、それら不幸の入り口への切符が、言語では。
犬が、腹が減ったのか、眠いのか、色気づいたのかは、言葉が通じなくても察することが出来るのであります。鳴き声だけで分かったりいたしますです。
なんてことを考えながら、「開運EIBS」の作製をしていたのでありました。
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2020
07.12
腹が減っては戦ができませぬ。
戦ではありませんが、十傳スクールの講義の前には、たらふく満腹になるまで朝飯を食うのであります。
断易で言いますと、極旺状態になるまで食って食って食うのであります。
応期は、これまた断易でいうところの冲する時。つまり、腹八分目になったあたりでありますから、八時に食えば、スクールが始まる11時にちょうど良くなるのであります。
青い封筒が見えるでありましょうか。
これが今発売しているムーの八月号の付録なのであります。
私メの考案の封筒でございます。
飯を食いながら、封筒裏の漢詩を読むのであります。
ミスはなかったか…と。
なにしろ、この漢詩は私メ作なのでありましたから。
韻とかはヤバそうでありますが、占いの原典にある漢文よりはマシであります。
多くの人々は、原典を重視し、
「原典では、原典では」
と鬼の首をとったよーに騒ぎますが、占いの原典とは、大したものは少ないのであります。
すこしばかり文才のある者であれば、簡単に原典を作れることでありましょう。
卜噬正宗なども、幾人が、
「書き加えたな」
その痕跡が随所にございます。
奇門遁甲の原典に至っては、優秀さと間抜けさが混在しておりますです。
さーて、腹十二分になりましたであります。
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