2011
04.15

「Hよりも、お花見よりも大事なことがあります!」
ってなことを以前、演説されたことがございました。

ちょうど桜が三分咲きくらいで、いよいよ桜の季節がはじまろうという…あれはいつのことだったのでありましょうか。記憶がうすれかけて、その言葉しか覚えてはいないのであります。

しかし、桜の盛りがおわり、花弁がこのように散り乱れるのをみていると、花見より大事なことなどなにもないような気になるのであります。

「愛する心か大切です。愛する人のためならすべてを投げ出す気持ちです。私にはそれがありました」
と演説する彼女の言葉を受話器から耳をすこしはなして聞きながら、桜の花びらを眺めていたのでありました。

恋のウンザリするところは、さいごにどちらかがバカに真面目になるところであります。

笑いさざめきながら終わることはできないのでありましょうか。

せめて携帯メールをキレイな思い出に染めておわりにしようとして「キミのことはずっと心にしまっておくでありましょうザンス」てなメールを不機嫌になりかけている感情を押し殺して送るのですが、「いまさらそういう甘い言葉をいわれても私の傷ついた心にはなにも感じません」とかウヒャー!という返事がくるばかり。

今年の桜も散りいそぎ、散った梢にははやくも若葉が顔をだしているのであります。
この不安定な季節のつぎには落ち着いた新緑の日々が待っているのであります。

しかし、やはり呻くように咲きほこった桜を仰ぐことは、恋よりも心よりも大切なのだと、年をとればとるほど痛感するのであります。

2011
04.14

冬眠していたカメのカメ子が、また一回り大きくなって、目覚めたのでありました。

庭で見つけてから、もう8年くらいたちます。
その頃は手のひらよりも小さかったのに、いまでは両手のひらよりも大きいのであります。

どこか広い場所を作ってやらなければならないときが来ているようなきがいたしますです。

なにしろ、カメ専門の動物病院の若僧獣医によれば、あと60年以上も生きるそうなのであります。
その間、ずっと狭い衣装ケースのなかでは、生きていることにはなりますまい。

結婚して貞節な女性と同じようなもの。「もっと気持ちイイことがあるのに」という感じなのであります。
独身時代にやるべきことをしていないと、三〇代後半あたりから、未経験の分野に進出する奥様方のなんと多いことでありましょう。まぁ、それはそれで楽しいことなのではございます。

カメ子は半年ほど絶食生活を送っていたためか、餌をまだ上手に食べることができません。
食べ方を忘れているようであります。
こうして手で餌を与えないと食わない贅沢なカメなのであります。

「あなたのじゃないとダメなの」
なんて言葉を思い出しましたのでありました。
「コレさえなきゃ…」
なんて言葉も。

やはり亀の頭を眺めていると、思考は桃色になるようであります。
イタリア語では亀頭をグランデと申しますです。

2011
04.13

大山阿夫利神社の中の院の境内は以外に荘厳なのであります。

社には地下がございまして、湧水だの和合の道祖神のようなものまでキチンと祭っておりまして、驚くのはお神酒まで用意されているのであります。

いちおうはお賽銭を入れなければなりませんけれど、誰も見ていませんでしたのでタダ酒いたしました。

水筒を用意すれば、そこにお酒を満たしても…などと考えたのであります。

さて、境内に戻ると絵馬がありました。

うわっ、不気味な願い事でありますねぇ。
「生まれ変わってもずっと一緒!」だなんて、背筋が寒くなりますですよ。

が、こういうのを本当の愛というんでしょうかねぇ。
私にはできないことであります。

だいたいにして来世とか生まれ変わりなどを信じていませんからねぇ。
イイ歳をした人たちがスピリッチャルか何かを信じて前世とか来世とかを、ばかにマジで論じているのを見ただけで、もう襟首を掴んで「大丈夫か、気は確かか?」とゆさぶってやりたくなります。
もちろんそんなことはいたしませんけどね。

そして、この画像であります。
ホモくんなのでありましょうか。

ホモも愛なのでありましょうか。
聞いたところによるとホモもレズも、絶対数が少ないので、相手に去られると次のお相手が見つかるまで相当な苦労をするそうです。なので相手に執着するのだとか。
レズの間に入って愉しむのは悪くありませんけど、ホモはダメであります。

が、ものの本によりますと、愛の最高峰はホモだとか。ギリシアの時代からそうらしいのであります。
次に正しい愛は男女の愛。
もっとも汚らわしいのがレズとか。

真偽のほどは分かりませんけれど、愛と名がついただけで愛が腐敗したような気がするのでありますです。

また、絵馬とか歌謡曲の歌詞を見ているとぞっとする場面に遭遇いたしますですね。

いやはや、そういう愛は求めてはおりませんですよ。
冷たい愛でいいのであります。
スケベ愛だけで十分。
あとは人里離れた小屋で一人でイヌと暮らしたいのが本音であります。

震災の被災者の方々に対する「助けてあげたい」という誠意も、もしも私が被災者なら気持ち悪いというか、有難迷惑というか、腹立たしいのであります。

…ところで、被災者になかにフーゾクの女の子もいるはずですが、いっしょに学校に避難しているのでありましょうか。それとも数多い男たちの誰かの家にもぐりこんでいるのでしょうか。非常にスケベ心が刺激されるところであります。