2013
06.15

実家の近所にある小さな神社が、明日から二日間賑わうようであります。

まだ鎮まりかえっておりますが、的屋っぽい男たちがちらほら見えるのでありました。

もう40年も昔のことですが、私メも清水焼の叩き売りのマネごとをした経験がございます。
それまでは、消極的でありましたから、とても大声を必要とする商売など出来るとは思ってもおりませんでした。

背に腹はかえられぬ事情で、やむなく、
「おいでやす、おいでやす!」と東北弁でガナったのでありました。

ところが、どんなところに才能があるのか分からないモノでして、一週間も続けたところ、完売に近いほどの盛況ぶりだったのであります。
自分でも奇妙な気持ちでありました。

郷里から離れ知り合いが誰もいない街での、クソ力にほかありませんでしたでございましょう。

私メの生年月日を調べますと、形ばかりの官殺がございまして…つまり自分を抑圧する星でありますが、それを破ることで、見知らぬ自分が発揮したわけであります。

十傳スクールでも、自分が人に何かを教えることができるだろうかと、いささか心配ではありましたが、どうにか半年もっていることも、また火事場の馬鹿力に似たところがございますです。

見知らぬ自分が正しいかどうかは分かりませぬが、誰にでも隠れている能力があるようであります。

いちど環境を変えてみるのも悪くはないことだとおもいますです。

人生の祭りのまえと、あとの違いを、すこし考えたりするのでありました。

占いで、こういう才能があると知っても、その才能が現実にならないと分からないモノでございます。

悪い運勢が去り、幸運が到来したとたんに、逆に悪い出来事が発生するケースもあり、それは祭りの前に、どのような生活をしていたか、ここにポイントがございますです。
悪い運勢の期間こそ、しつはとても大切な時期なのだということを、今度の講義では述べなくてはならないと、メモするのでありました。