2016
06.03

キレイな枇杷を贈られました。
南国の香りがいたします。
海からの温かな風を感じますです。

高台の日当たりの良い斜面に枇杷の林があるのでありましょうか。見渡す限り鈴なりの枇杷が金玉大に実っているのでございましょーか。

神戸から戻ったあと、ほとんど外にも出歩かず、部屋の中で資料と向き合い、PCのボードを叩いている私メにとって、枇杷の贈物は、心を潤すものでございましたです。

ふと、なにか大切なことを忘れているよーな気がいたします。
誰かを深く傷つけていて、そのまま放り出している罪の意識にも似た懐かしい切なさでございます。
けれど、それはキラめきのよーな初夏の突風みたいなもので、一瞬後には忘れられ、でもまた枇杷の表面の羽毛に触れると、突如として湧き上がるのでございます。

取り返しのつかないほど過去になった約束を、ふと思い出したのかもしれません。
「待っているわ」
という約束。
17歳のまま、あそこで待っているかも知れないという快さと苦しさが入り混じった幻想。古いビルの入り口に置かれた自販機の前で、たたんだ傘から滴がしたたり、格子模様のタイルの溝の埃を吸って流れているという幻想。

おそらく郷愁をさそう枇杷の箱のパッケージのデザインが原因しているのかもしれませぬ。

あるいは枇杷が「詫び」という語感に通じているからなのでありましょうか。

開け放したウインドーから片手を出して、初夏の風の重さを受けとめるために房総半島の道を走ってみたいという若者の心にすこし戻ったのでございます。

明日は十傳スクール。断易中等科。いよいよ新しいテキスト、「天玄賦」に入るのであります。