2016
06.23

モリオカの実家に帰り、そーですね、1時間もした頃でしょうか。
階下の玄関で藁草履をこすりつけて脱ぐよ―な物音がいたしました。

「出たな…!」

久しぶりの音でございました。
実家は幽霊が出るのでございます。

私メは一度も目撃しておりませぬが、みな「鏡に映っているおかっぱの女の子をみた」とか「足指だけ襖からのぞいていた」とか「白い服を着た男をみた」とか「いやいや私は…」と様々でありますが、極めつけはお盆に、突如として消えていた雪洞が点灯したというのがあり、それはその場にいる全員が見ているのであります。しかも雪洞には電源が入っていなかったというのでございます。

そーいえば、老母が、死んだ祖母の悪口を言っていた時、真っ赤な蛾が鱗粉をふりまきながら居間に踊り込み、老母にまつわりつき、果てはスカートの中にもぐり込んだこともありましたです。
昨年の夏も、同じようなことがございまして、「おばあちゃんが怒っているよ」とたしなめたものでございます。

私メは、しかし、玄関先での藁草履の物音しか聞こえないのであります。
それも、この数年はないことでありました。

階段をそっと降りましたが、やはり誰もおりませぬ。

雨の匂いが立ち込めているだけでございました。

モリオカ駅も雨、大通りも雨、そして実家も雨。
雨は、まだ4時だというのに日暮れのようにあたりを薄暗い幕で遮蔽し、それは一種独特の東北の淫らさを脳髄に沁みこませる薄暗さ。

旧家の古い屋敷に根をおろした霊魂が、私メを迎えているのかもしれませぬ。

不意に電話が鳴り、週末の法事の確認でございました。

柱という柱、板天上という板、床という床、思えば、生きている老母と私メよりも、死んでいった者たちの多いこの家には、死者の生きていた体油がしたたるほど沁み込み、交わっては生まれ、そーして死んでいったに違いなく、ひそひそとそういう生前の想い出を語りあっているよーにも感じるのでございます。