2023
04.06

2週間の左目の無明もやっと霧がかかったよーではありますが、晴れてまいりました。
すると急に、甘い物を欲するのであります。

チョコとかではなく、アズキであります。
で、餡ドーナツを買ってまいりました。

4つに切りまして、ひとつひとつミルクと一緒に味わう至福であります。

食いたいものは体が欲しているからだと、そういう誘惑にはほとほと弱く、
「もっと買ってくるのであった…」
という具合。

そーいえば、視力が落ちる数日前は、やたらとナッツ類を欲しておりました。
カシューナッツだのアーモンド。とりわけピーナツを気が狂ったよーにガツガツと食っていたのであります。

江戸時代の観相家の水野南北ではございませんが、食というものは非常に大切だと思っております。
とりわけコメはとても重要ではないかと。
ダイエットの大敵と言われているコメではありますが、知り合いの指圧の先生に言わせると、
「最初は太るが、そのうちに体内のバランスが取れてきて痩せる基本が整う」
という意味のことを言っていたと記憶しておるのであります。

あとは「水」。
お茶とか珈琲とかではなく、真水であります。
水が美味しいなどとは若い頃は思ってもいませんでしたが、たしかに美味しい水は存在するのであります。
いや、美味しくなくても水は大事。
以前、頭の中に困った出来物が5個あって、医者にも見捨てられた相談者に、水を勧めたのであります。
「1日に2リットル飲むよーに」と。
すると半年ぐらいで、その腫瘍が消えた奇跡が起こったのでございます。

餡ドーナツもまた、自分の体に良いのだと、さきほど3個追加で買ってまいりましたです。

2023
04.05

24節気のひとつ清明を迎え、辰月に切り替わりました。
十傳スクールの四柱推命でも、たびたび述べていることですが、辰月生まれの人の処理はなかなか難しいのであります。

辰は、五行でいえば本来は土行であります。
が、申ー子ー辰の水局のカードも持っているので、水行でもあります。
そして、寅ー卯ー辰の、春の東方合のカードも持ち合わせているので木行でもあるのであります。

また、辰月は春とはいえ、翌月に夏が待ち構えておりますから、土だとしても、乾いた土、つまり燥土とも見るし、ほかに丑などがあれば湿った土である湿土としてみる場合もあり、この辰は、いったいどれに属するのかを判断するか、それに悩むのであります。ここでミスしてしまうと、運勢の捉え方を間違ってしまいますです。

一説に、戌が隣にあると、辰ー戌の支冲で無作用となるとか、酉があれば辰ー酉の支合で、これまた無作用になると堂々と論じるお方がおりますが、これは明らかに間違いであります。
冲去、合去というのは、断易の理論でありまして、四柱推命の理論ではありません。
だいたいにして無作用ということにしたら、ではいったいどーやつて判断すればいいのか。
いや、それ以前に、そんな理論は、どこに記されているのか。
流派で判断の仕方に差異があるのは良いとして、しかし、変な理論を正論とされては困るのであります。
これは干合などでも多々見られ邪論を信じているお方がけっこういらっしゃるのでございます。

おっとと、辰でしたね。
辰は、泥水の底に龍が住んでいるのであります。あまり刺激すると、その龍がとぐろを巻いて躍り出るのであります。

まぁ、薄皮を剝ぐよーに、ひとつひとつ理解していけば大丈夫でありましょー。

遠くに富士山が見えますが、この富士山がくっきり見えるのは茅ケ崎では、辰月までで、巳月になると容易に見えなくなりまして、
「ああ、夏が来たなぁ」
と季節を感じるのであります。

2023
04.04

さいきん、立て続けに学生時代の知り合いの訃報がはいるのであります。
「そういう年頃なのだな」
と聞き流しておりましたが、それがお女性となると、すこし感慨が異なるのであります。

さいごに駅での別れた後姿が浮かんできて、
「あれが見納めであったのか…」
複雑な気持ち。どこか抒情をふくんだ、そして未知なる過去を空想するのであります。
エックスという「X」の文字が、男女の交錯という物語を刺激するのであります。
数か月付き合った相手が、どのよーな人生を歩んでいたのか。

若ければ、いつかどこかで会えるかも知れないという期待がございますが、そして、歌でも、♫そして2年の月日が流れ去り♫と歌えますが、2年どころか、そして40年の年月が流れ去っておることなどザラであります。

かつては私メの世代も『現代っ子』と呼ばれておりました。
それがじつに瞬く間に過ぎてしまうのであります。

「60歳か、70歳になったら、加茂川の流れを眺めながら、いまのことなんか話せたらええね」
みたいなことを喫茶店で語られたよーな気もいたします。
「オノ君は将来どんなにならはってるかなぁ?」
「考えただけでゾクゾクするわぁ」
「会ったかて分からへんわぁ、オババさんになってしもうておるやろし」

男より、お女性の言葉が、つい昨日語られたように覚えているのが不思議であります。

訃報でいちばん堪えるのが、同じ思い出に時間を忘れて喋ることのできる相手が消えてしまうことなのであります。
「ほんまに好きやったんよ」
「ぼくだって」
などと。