2023
04.18

この画像は、1998年の6月から2001年の春まで借りていた事務所でございます。
神保町の交差点の近くの、レトロな喫茶店の二階でございました。
戦災から免れた、古いしもた屋風の日本家屋。
ネズミが天井を駆け回り、月一で駆除業者が回ってくる、とんでもない建物でございました。

しかし、ここで夢中になって原稿を作成したのでございます。

家賃は月11万円。
「場所が良いですから安くは出来ません」
強気な不動産業者でございました。

トイレとキッチンが備えられているから、「まぁ、いいか」と決断したのでありました。

じつは、その前年に、東北沢に1Kの事務所を借りておりましたが、事情があり、1998年の1月に出たのであります。
事情というのは、資金源だったギャンブル誌が、編集部ごと独立することになり、
「当分の間は監修費を払えない」
と宣告されたからでございます。

監修費が滞ることは、直接的に貧乏に戻ることを意味します。
単行本が出たところで、それは単発。監修費のような月々の収入は大切な命綱なのでございました。

で、無事にギャンブル誌が復活することとなり事務所探しを始めたという具合であります。
たまたま通りがかった、この部屋のドアに、「入居募集」の張り紙を目にしたのであります。

しかし、この事務所は致命的な欠点がございました。
床が弱いので、重たい機器は置かれない。これであります。
業務用の印刷機は「無理」なのであります。
でも、導入しました。
万が一の場合は、印刷機ごと下の店に転落する危険があるのであります。

折よく、ストーカーが登場いたしまして、それを好機として、次なる事務所へと移ることになったのでございます。

ここでの3年間は、じつに色々と新鮮でありました。
毎日が楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。