2011
05.11

大熊座の境界付近に肉眼ではほとんど見ることのできない、猟犬座の渦巻き銀河があるのであります。
ちいさな渦巻き銀河をともなって、青い光をはなっているのであります。

そしてから二か月前の三陸の津波を省みるのです。
伏死魔では、まだ災害がおわったわけではなく、事態はさらに悪化しているようであります。
が、宇宙の向こう側をおもい、そして地球の片隅でおこった地震をみつめると、無常観のようなおもいに吸い込まれるのであります。

どうせ死んでいくんだよなぁ、というおもい。
たいへんなことだけど宇宙からみれば、それも起こり得る自然なんだよなぁ、という思い。
どうでもいいや、なんておもい。

それは死ぬほど惚れた女に失恋し、しばらく日にちが過ぎてから心を通り過ぎる感情ににているような気がします。
「オノ、どうして昨日のバイトを休んだんだ。みんなが迷惑したんだぞ」
と、過去の遠くから友達の声がよみがえるのでありました。
高島屋の皿洗いのバイトを無断で休んだことに対する非難の言葉でありました。
「雨が降っていたからな」

とても好きだった女に失恋してから一ヶ月ちょっとたっていました。
なにもかもどうでもよくて、この世でガタガタ騒ぐことはなにもないのだと思うようになっていたのであります。

震災から二カ月という時期は、恐怖がいちおうは現実的な問題ではなくなった頃でありましょう。
心の痛手が、ふいに放出されるころにさしかかっているとおもわれます。

  1. 地震からふた月の間に様々なことがありました。
    友人の離婚、知人の自殺、交通事故に遭って意識が戻らない同僚…
    何者かがあたしのことをせっついているように感じたふた月でした。
    「ほら、おまえみたくボヤボヤしていると、人生なんてあっという間に終わっちゃうぞ」
    「まだ、相も変わらず、そんな細かい事をウジウジ、グダグダ考えてるのか?」
    「行動しないのだったら、生きてても死んでても一緒だろ?」
    と。
    無常、いつまでもおなじではないこと。矛盾するけれども、無常だからこそ新たな一歩を踏み出すことに躊躇してかたまっちゃうのです。自分でも変だとは思いますが、この気持ち、わかりますか?

    ●十傳より→はてはて分かりませんでありますです。お気が狂われたとしか…。けれど何もせず生きるのはいいことだとおもうのであります。

  2. 死ぬほど惚れた女性が、いたなんて、何て素敵な、ことでしょう。私も本音では、そんな恋に憧れていました。でも、私は男性に飛び込んで行く事が、出来ませんでした。なにか、いつも自分をセーブしていました。なにか、コンプレックスなのか、後のことを考えてしまうのか、又人を傷つけてしまうという恐れからか、素直になれませんでした。サークルで、皆で集まったとき一人の人に打ち明けられて
    でも、全く思いも寄らない事でしたので、やんわりお断りしましたら、死んでやるといって、海に走っていきました。他の人が、止めてくれました。でも、その人は、半年後に風の便りで、親が、連れてきた人と結婚したと、聞きました。ホッとしました。
    私は辛いことが、あるといつも星空を眺めていました。そうすると、自分は、なんて、小さいんだろうと、くよくよするのは、くだらないと、切り替えていました。
    でも、こちらの星は、美しくありません。猟犬座の渦巻き銀河初めて見ました。不気味な、美しさと何か吸い込まれるようです。宇宙が、地球を人間を支配しているのでしょうか。

      ●十傳より→富士山のように、どんなに美しい星も近くから見ると汚らしいのであります。かつて惚れた女も生きていれば50代。津波で入れ歯を流され避難所にいるやもしれないと心でニヤニヤしているのであります。