2011
05.24

近所のちっぽけな魚屋をのぞきましたところ、
「おおっ!」
と声が出てしまうほどの、いい魚がありました。

イイ魚とは、まず安くなくてはなりません。旨くなくては話になりません。

この両方の条件をクリアした、つまり中落ちのヤツと、金目鯛が並んでいたのであります。

青森とか長崎で、素朴でありながら絶品の才能をもっている女の子を見つけたときの感動に似ているのでありました。

TVをつけながら調理していましたら、長門ヒロユキの通夜の番組。
「くそったれが!」
と悪態をついて消したのであります。
オシドリ夫婦だかになんだか分かりませんが、ボケた老妻をTVに出し、介護している自分を評価させようという姑息な醜老人。
あとは黄色い歯の瀬戸内ジャクショウが死んでくれればいいのに…なんて思いつつ、出刃包丁を握って魚をさばくのでありました。

そんなバカなことに興奮していますと、金目鯛が「すこし痛いかも…」なんて言いますです。
「オオ悪い悪い」
つい快楽慣れしている人妻モードの指づかいになっておったようであります。
こそこそとデリケートに包丁をつかって背骨から肉をそぎ落とすのでありました。

そう、この感覚であります。
奉仕する悦びと、奉仕される悦びが釣り合った時、そこに魂までが震えるような信頼関係が誕生するのであります。
それを愛と呼ぶのかもしれません。

なんという絶妙な味つけか。
腕前ではありませぬ。
新鮮な魚は、味をどこまでも深く香り高く導いてくれるのでございます。
「こんなにやさしくされたのはじめてかも…」
頬をまだらに火照らせて女が息をついているのであります。潮の香りが微かに感じられるその濃い吐息を、肺の奥まで吸い込むと、痺れるような興奮がふたたび満ちてくるのでありました。
彼女の、たったいままで肺にあった空気が、いまは自分の肺の中にあるという一体感は命の奥に沁みとおるのでありました。

金目鯛の命を、いま私の体内にとりこむのでございます。

  1. 島根県にいる時、「のどぐろ」なる魚をたべました。
    煮魚でして、これがまた濃厚で絶品でした。

    時々、思い出しては「また、食べたい」
    と思うのです。

    期待していなかった女性が、
    驚きとともに絶品だったり(女性の方、失礼)
    そのまた反対もございます。

    「また、食してみたい」とも思うのでございます。

    ●十傳より→のどぐろは高級魚でありますですよね。島根は米も美味いので、煮魚といっしょに何杯でも食えるのであります。青森の「そい」という魚もなかなかの美味であります。

  2. なんて、幸せな、金目ちゃんでしょうか、読ませていただいて、心が、和みました。ここの所とても、気持ちが、沈んでいました。私はふたご座です。星座に関係ありますでしょうか。今日は、昨日と少し気持ちが、違います。金目鯛のお話を読んでいくうちに元気が、出てきました。有難う御座いました。
    私も長門ヒロユキは、本当に気分が、悪くなります。弟もきらいです。

      ●十傳より→長門の訃報の感想を、紺野ミサコに聞きたいものでありますです。でもまぁ、そんなことより金目鯛でありますね。

  3. 金目鯛にちょっと嫉妬。

      ●十傳より→嫉妬されるのも、たまには快感でありますね。

  4. ・・・お魚の顔がカッコイイです・爆

    梅酒づくりの季節ですね 私も焼酎・ブランデーと3年、6年もの
    がありましたけど 地震もあり 後生大事に保存しててもと思い 
    すっかり飲み干してしまいました
    今年は そのためにウォッカを買ってきましたので 
    やってみたいと思います。

    ●十傳より→今回の地震は、呑んべぇにとって、まことに良き口実になりましたですね。私もストックしていたワインもウィスキーもほとんど空にしてしまいました。

  5. こんばんは!僕は昨晩「煮魚」でした。ブリかまの特大1尾ぶん。ただ食後の片付けが大変でした。台所が魚の青臭い匂いで鼻がもげそうでした。美味かったんですが、「青森の黒ソイ」にはかないません。
    で、今日は「彼女」でなくて、「干支」と動物に関してです。
    「うさぎ・卯」の関係です。
    7歳くらいの時に「父」に褒められようとして、「ウサギ狩り」をワナで行ったました。僕に捕まるような、そんな奇特なうさぎはいません。当然。で、ある日。ワナの「スカ」を確認して、青空、白い雪原、誰もいないハズの景色を眺めていると、近場の積み上げた材木置場に異変を感じ取り近寄りました。そこには無数の「真っ赤」なしるし、あきらかに血魂です。そこにはまだ新しい「片足」それを引きずる何者かの足跡。「先をこされたあ」のみです。殺生はゲームに変貌してました。
    それを辿っていくうちに後悔が生まれ始めました。人間の足跡はないです。
    何故でしょうか、、、??「あっ!」青い空と地平線が交わる境界線に存在しない
    雲の塊を見つけました。白く湯気だった雲の塊はそこに歩み寄る好奇心いっぱいの
    私に「おいでおいで」をしてました。があ、それには訳がありました。
    そこには「怒鬼」のようなでかい顔が待ち構えてました。ウサギ、、でした。
    「理由」が分りません。僕は近寄ってそこにいるウサギの口から出る臭気に気が付きました。恐ろしい顔です。人間でも出来ない響鬼のかお。人間??
    ウサギは自分で足を噛み切って片足を「切り離して」ました。
    ご存じないかも、獣の皮は強固です。刃物もダメにします。ましてや、獣であっても「草食」野うさぎには文字通り歯が立ちません。なのに、自らを切断して逃げようとしたんですね。毛皮、肉、筋、骨、関節。で、自分を追いかけてくる人間、自分を殺そうとした人間に最後の決戦を挑もうと待っていた。あの顔は今でも忘れません。
    「家族」「家庭」「愛する者」「生」への望みでしょうか、、。
    あれほど、動物の霊を感じたことはありません。
    仏教では「ウサギ」は尊い生き物として崇められてます。其れを知ったのは3年前です。「干支」での区別、それにうまれてくる理由?は何か秘密が有るのでしょうか。ただ単に「ゴール」した順番と言われてますが、、。
    星座も季節の有り様に説明されてますが、教えてください。
    お願いします。

    公開はどちらでも。しますよね、、。

    ●十傳より→12支の動物に特別な根拠を求めても無理かもしれませんです。兎を兎ではなく卯と書いたり、虎は寅。イヌは犬手はなく戌でありますから。詳しく述べるとキリがありませんです。