2021
05.14

冬に、従弟のマー坊によって破壊された門扉の構想が煮詰まりつつあり、
「これはタイヘンだぁ」
とということになっておるのであります。

業者の方が言うには、
「雪掻きの車に壊されたので…」と考えるふりをして、「雪が積もらねばいいというわけでして」
「門に屋根を付けるということですか?」

しかし、雪は斜めからも降るわけです。

家相上、『門や塀は壊れていても構わない』があります。
『大きすぎず、小さすぎず』
そこらへんはアバウトに記されております。
であれば、大胆に作り直すのも面白いのでございます。

「大々的にヤッてください」
と頭を下げ、できればガレージの横に、藤棚っぽいのも…と。

さらに門から玄関までは、雪が積もらぬように熱線をいれてくださいとも依頼したのであります。

「ははぁ」
と平伏されたのを見て、
「これは高くつくぞ」

以上が、前回、4月までの打ち合わせでございました。

昨日、あらためて屋敷のぐるりを眺め、塀が不十分であることに気づいたのであります。
さらにヒバ垣の一本が枯れていることも。

「また死人が出るかもしれない…」
塀なりフェンスなりでもイイのでありますが、土を深く掘り土台を固定させるため、その影響はご近所の老人たちに多大な被害が出ることは、家を建てたことで実証済み。

「だが手を抜いてイイことはひとつもないから」

てなことを昨日、喪服会場で考えていたのでございます。

2021
05.13

トンボ帰りなのでありました。
が、新幹線ではなく、
「ときにはクルマで」
一種の健康診断みたいなノリであります。
モリオカから茅ヶ崎の自宅までの650キロで、どれほどの疲労感を覚えるのか。

結果的には土日の講義のあとぐらいの疲れ具合でありました。

もっとも自動運転システムに頼りっぱなしではありました。

また私メは自他ともに認める安全運転!

追い越され車線が私メの領域であります。
完全なるキープレフトスタイル。

お女性を隣に乗せたりするときには、
「チンタラ、退屈な走りをするんじゃねーよ」
なんて心の蔑視が聞こえるのであります。

そのかわり滅多に休みませんです。
本日も、トイレと給油で二回、サービスエリアに立ち寄っただけ。
なので8時間で
「目的地周辺です」
のアナウンスが流れたのでございます。

しかし、サービスエリアで休んでいる長距離トラックのドライバーは、私メより年下。

普通車でも老人のドライバーの隣には老いたパートナー。

真っ赤なジャンバーこそ着て、悲しい若作りをしておりましたが、単身で運転している老体は私メぐらいなものでありました。

あと何年で運転免許証を返上するのか。
いやいや銀座ジプシーは80歳あたりで、
「なぁムッシュー、真っ赤なスポーツカーが欲しいなぁ」
とのたまっておりましたから、少し励ましにはなりますです。

それにしても自動運転システムは、もう手放せません。
運転中に、コンビニおにぎりのビニールを両手を使ってはずせるだけでなく、手元の操作でスピードや車間距離を調整することも、出来るのでございますから。
凶方位の凶作用を軽減してくれるのでは…。
いやいや、それは考え違いかもです。

2021
05.12

用事が出来てモリオカに戻りました。

駅からのタクシーで、
「あしたは小学校の運動会でやんしてな」
上田小学校の校庭に準備のクルマが乗り入れているのを見て、運転手さんが声をかけてきました。
「修学旅行も、東京だの、京都さ行ぐのは止めにして、隣の県にして、そごの高級ホテルに宿泊するよーですっけ」
よく喋るお方で、ふと助手席前にあるプレートに目をやりました。

裕彦さん?

記憶のなかを透明の糸が流れました。
「オノ君、さいきん、よぐモリオカさ戻ってるんだって?」

小学校の四才先輩の〇〇裕彦さんでした。子供会の同じ地区で、季節ごとの出し物を決めては積極的に場を盛り上げてくれる、やさしいお兄さんなのでした。
三年前に裕彦さんの母君が他界し、顔は出しませんでしたが、お悔やみを包んだものでした。

最初は私メだと気づかなかったけれど、行き先を聞いて「あれ?」と思い、ミラーで見て思い出したのだと裕彦さんは言うのでした。
「アレのためにご帰郷すか?」
「はい…裕彦さんは?」
「ちょこっと顔ば出しやんすがなって」

60年ぶりだというのに、昨日会ったばかりのような気さくさでありました。

「弟は来ねがんすよ、知ってますべっともが…」
すこし沈黙し、「清彦の野郎は別荘から出はられねんでますもんで」

清彦というのは彼の弟で、私メの二年先輩。別荘というのは刑務所のことでありました。
兄弟でも、こうも違うのかと思うくらい、清彦は小さな頃から危険なお方でありました。

この二人の兄弟の生年月日を、十傳スクールでの四柱推命卒論科で取り上げております。

実家には老母はおらず、書置きが残されておりました。
「先に行ってます」と。

私メも、いそいで喪服に着替えたのでありました。