2024
04.23

ついに抗しきれずに、ワクチンの副作用が取りざたされてまいりましたね。

治験もせずに、「責任を持つ」と河野に煽られて接種をうけたお方が多く、体調不良を訴えておられるとか。

小林製薬に罪を擦り付けきれなかったのでしょーか。

中国人が故意にバラまいた武漢風邪、いわゆるコロナは2020年初頭から感染者が増え続け、一月元旦に国内脱出に成功したゴーン社長は腹を抱えて笑っているだろーなと思っておりました。

歴史からの視点では、流行病は二年半は広がるよーでありまして、スペイン風邪では原敬首相も感染したとか。体調不良をおして公務にいそしんだことが、原敬日記に記されております。

自慢するわけではございませんが、私メはワクチン接種もしなければ、マスクも三年通じて七枚ほどしか使っておりません。そーいうものを頭から信じないタチなものでして。ジム用のマスクは、耳掛けのゴムが伸びきり、顎のあたりでダラーンと垂れ下がる始末。
「すればイイんだろう」
的な態度でありました。

もちろんヤバイ奴には近寄りませんでしたが。

しかし、あの期間中の新幹線はガラ空きで夢のよーでありました。
外人も皆無でしたし。
鎖国状態の日々がホントにくるとは…しやわせでした。

鑑定でも、ワクチンを接種した人で、お女性は乳がん、男はすい臓癌が、私メの統計では増えておりますです。

なぜあれだけワクチン接種に飛びついた理由は、思考停止の状態だったからではないかと思っております。
データを丸のみして信じ、河野のよーなヤツの言葉をなぜ受け入れたのか。

内なる声に耳を傾ける必要がございます。
先日、奇門遁甲丁奇造作法の中で、ちょこっと瞑想法を話しましたが、そういう自分で自分の体内をチェックする意識が大事であります。

そして、今後は政治家とか専門家などの話をまともに聞かないこと。一切受け入れない姿勢が非常に求められますです。

そーいう時代なのであります。

ふるさとの山はありがたきかな。

2024
04.22

亡父の命日は5月に入ってからですが、4月22日の19年前だったかの今日が、最後に会った日であります。
命日は関東に行っていることだしと墓参りをすることにしました。

クルマをおいて境内に入ると…。
動くものが視野に入りました。
なんと、前方に野生のニホンカモシカがいるではありませんか。

さっと血の気が引きました。
カモシカくんも私メの存在に気づき、しばし視線を合わせました。

奈良のお方なら、公園にシカが放し飼いにされているので、さして珍しくもないかもしれません。
しかしですよ、モリオカの市内のど真ん中のお寺の境内に、忽然と現れておりますから、
「今日が、自分の命日になるのか…」
全身をカモシカの角によって血まみれにされる光景を想像し、服の上から、ここが刺されるのか、それともここが先かと、股間を抑えましたです。
だが、やられるだけでは済まないぞ、一矢報いてから絶命しよー!

するとカモシカ君は視線をはずし、木に身をこすりつけ、スタスタと歩き出し、こんどは鐘つき堂にのぼって行ったではありませんか。

境内には誰もおりません。
坊主に教えるべきか。
それとも警察に通報すべきか。

いやいや、チクるなどは日本人のやるよーな真似。
野球の大谷がホームランをしたと聞くとわいわい熱狂したふりをし、議員が汚職した聞くといっせいに騒ぎ立てる。危険なワクチンを我先にするよーな軽薄な日本人のよーであってはいけない。

だまってカモシカ君の行動を眺めることにしました。

昨日行った縄文遺跡から、時を越えて現れたよーなカモシカ君の出現ではないかと空想したりもしました。
それとも亡父のうつし身か。

しばらくしてカモシカ君は境内から、火葬場に向かう坂道をのぼって行ったのであります。
「気をつけろよ」

ずいぶんしてから、あれはあの世への招待だったりして…。

2024
04.21

御所野遺跡を再訪いたしました。

岩手県の一戸町に御所野遺跡はございまして、ひろびろとした野原に縄文文化が花開いたとかです。
五百年間、そこに代々暮らしていた気配がしずかに漂っておるのであります。

展示室は一見する価値がございます。
ニヤリとしたのは、画像の女体の焼き物。

見事なプロポーションの女体であります。

文化といったって、犯罪的なことも、生臭いこともあり、そして憎しみ合うことも。
そういう人間のいとなみが、喜びも干支身も、長い歳月を経て、遺跡の数々から推測されると、どういうわけか無常の浄化として迫ってくるのであります。

やがてこの世が滅び、長い歳月の先に、発掘されたとき、それらを見物する誰かは、どんなことを思うのでしょーか。

「バカなことに力をいれていたものだなぁ」
なんて空を仰ぐのかもしれません。

墓石の下から灰となった人骨をまえに、「どんな儀式だったのか」とか、地下鉄とかを眺めては「なにを急いでいたのか」と首を傾げるかもしれません。

しかし、いまの三十年間は空白の謎の時と研究されるはずであります。
スマホとかに納めている画像とかメールが焼失され、なにも残らないからであります。

女体の焼き物に、私メは引き付けられてしまったのであります。

占いに使ったであろう色々な遺物…。
生まれては死に、その子孫が死にながら次の子孫へとつないでいく、バカバカしい繰り返しを、バカバカしいとは思わずに真剣に受け止める、やはりバカバカしさ。

いろいろと感じさせてくれる、じつに有意義な一日でございました。