2012
05.21

茅ケ崎は雨でしたが金冠日食がもっとも盛りあがった瞬間に、雲が薄くなって、肉眼でもご覧の通り眺めることができました。
2012年5月21日AM7:34頃のことでございました。
さて、ここで奇妙なことに気づくのであります。
この時間帯は午前8時6分まで、ボイドタイムなのであります。
ボイドタイムとは、月が太陽とか水星など9惑星と意味のあるアスペクト(30度とか60度とかの角度のこと。座相であります)を結び終え、次の星座に移るまでの時間帯なのであります。
ところがですよ。日食というのは月と太陽が合という大変な意味のあるアスペクトを結んでいるわけであります。アスペクトを結んでいるからには、ぜったいにボイドタイムであるわけがありませぬ。
ボイドタイムが日食の発生する前に終わり、月が次の星座である双子座に移動しているなら分かりますが、ボイドタイム中に日食があるのはあきらかに矛盾しているのでござますです。
じつは、これは見かけ上の問題であるのであります。
見かけ上、日本で月と太陽が重なることによるイタズラのようなものであります。
こーいう矛盾は多々あるのでありますです。
けれども、見かけ上とはいいましても、実際に太陽と月が合わさって見えるのでありますから、この時点でボイドタイムは無効となったと私メは解釈しているのでございます。
ボイドタイムの理論の限界というか、破たんが、このへんにありそうでありますね。
人間が勝手に決めた星座のライン、つまり、ここからここまでは牡牛座、みたいな線引きもというのも、首を傾げたいのでありますが、またお話が長引きそうなので、ここまでといたしますです。
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2012
05.20

雑花といういい方にムッとされたでしょうか。
雑草といういい方は自然に受け入れられるけれど、花となると「雑」の文字は不適切と考えるお方もいるかもしれませぬ。
亡父がいぜん趣味の写真の個展を開くとき、それは高山植物の写真だったのですが、「いいタイトルはねべか」と尋ねられたことがございますです。
「草原の雑花たち」を提案し、そのままタイトルにしましたところ、たくさんのお客様がいらしたのでありました。
東北の方々は「オラたちは雑草だ」というような独特なプライドをもっていて、それがタイトルとかみ合ったのかもしれませんです。
家の周囲には、このような名もない、いや名を知りたくない雑花たちが咲き乱れております。

昭和の歌姫のようであります。
かつてはスターと呼ばれる歌い手は、雑花のような不幸をただよわせていなければなりませんでした。
幸せであってはならないという不文律があったような気がいたしますです。
が、現在はきらびやかで優雅な雰囲気のある歌い手がもてはやされておりますですね。
まぁ、どちらでも男たちはスポットライトを浴びるその姿に、つかの間のときめきを湧かすのでありますが、焼き鳥屋のネェちゃんも嫌いではありませぬ。
いいえ、雑女……おっととと。しかしそういうお女性と親しくなることに胸を熱くするのも事実でございますです。
「わたしのことなんて本気で愛してくれる男なんていないのよ」
と言い捨てる、すさんだ雰囲気のお女性に美を見つけたりいたしますです。

むろん好みもありますから、すべての雑女…いやいやお女性を好きになることはありませぬが、泥の花といわれる蓮に見えることもあるのであります。
男だって、ほとんど雑男なのでありますから。
不思議なのは、ならば雑恋になるはずなのに、そうはならずに、味のある関係を咲かせたりいたします。
そしてだんだんには「オレにはおまえしかいないようだ」と心を決めていくのであります。
心はきめても、ほかにも美しい雑花たちがたくさんありますから、目移り困ってしまいますけれどね。
泥酔してぶっ倒れた道ばたに、雨に汚れにがら咲く雑花をみとめたときは、「ああ、オレはこのままじゃいけないよな」と心が洗われたこともありました。
「…大丈夫?」
としゃがれた声で近寄ってくれたお女性に瞬間的に恋をしたこともありました。

てなことを言いながら、
「おいおい、結局は、薔薇の花かよ」
なのでしょうか。
でも、これも雑男の偽らざる本音なのであります。
だますつもりは全然ないのに、なぜか雑花を捨ててしまうことになりやすい原発を男は隠しもっているようであります。
薔薇と雑花。
どちらも美しいのですけれど、大切にするかどうかと聞かれれば、
「薔薇だよ」と答えるのか「薔薇よりお前だよ」と言われるのか、男心のやさしさで、お女性はいつも惑わされるのでございますです。
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2012
05.19

昨年の秋の岩手山登山で負傷し、剥げた親指の爪も、このように回復いたしました、おもえばあれから、すでに7カ月以上も経っているのでありますです。
季節は夏直前。
暑くも寒くもない、そんな季節は年間で数日もありませぬ。
浜に出ましたら、さんさんと陽光が降り注いでいるのでありました。
いい音楽でもあれば最高なのであります。
波の寄せる音が途切れる、わずかな静寂もまた音楽かもしれませぬ。
三島由紀夫の「音楽」という官能小説を思い出すのでありました。
不感症に悩む患者と精神科医の物語であります。
音楽が、つまりは官能を意味しているこの小説は、かつて映画化され、黒沢典子という女優の存在を忘れられなくなったモノでありました。

女体をハープのようにつま弾く安らぎを、ふと思い出しました。
指先に伝わってくる「そこよ」とか「そこじゃないよ」という無言の会話は、そこに心がなくても、男と女のたしかな関係かもしれませぬ。
心とは何でありましょうか。
心では思っていないことを求めていることもあるのであります。
官能という旋律をカラダで聞いたときに、はじめて慕っていた事実を知り、驚き…いや感動するケースもございますです。
言葉は、あまりにも範囲が狭くて、「愛しているって言って」と求められても、なかなか口にすることはできません。
社交辞令でもイイのでしょうが、そのお女性に対する気持ちを「愛」という言葉に集約できないことの方が多いかもしれませんです。
「愛…」と途中まで言いかけて、恥ずかしさに苦笑い。
最後には、つま弾く音色を二人で確かめることしかできないのかもしれませんです。
が、男はそれでもイイのでありますが、お女性は満足できないのも、また事実でありますね。
音楽はつま弾く先から消えゆく音色なのでありますから。
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