2024
12.02

五代前のお方が建立した墓相を診に行ったのであります。
頑丈な墓石であり、時の経過による風化は多少、見受けられましたが、
「合格!」
問題なしでございました。

大変なのは、子孫でございましょー。
五代前は大金持ちで土地の有力者で、こんな豪勢なお墓を建てて満足でしょーけれど、この維持管理だけでも、腹の立つくらいの費用がかかるはずであります。

墓相は問題がなくても、子孫の金運は脅かされ、心配の種となりますです。

墓は一代一基。
祖先の墓よりも小さくすること。

この二点の意味が分かるのであります。

もう、演歌歌手を呼び、墓をステージにして観客からお金をいただくしかないような墓でございました。

墓相も家相も、足を使います。
この日だけでも110,000歩以上を歩いたのでございます。

疲れたつかれた~

2024
12.01

引き出しの奥の箱の中から、以前、鑑定の際に使用していた懐中時計が姿を現しました。
以前と申しましても、厚木パルコで雇われ占い師としての頃の事ですから、気の遠くなるほどの昔でございます。

懐中時計は、5時をさして止まっておりました。

いつ止まったのか。
止まったとき、私メは何をしていたのだろう。

時は去るものではなく、来るものだというお方もございますが、もはや、そういうセリフは似合わない年齢であります。
荒海に向かって、白髪をなぶらせつつ、水平線の向うを杖の先で示しつつ、
「時は来るものじゃ!」
と叫んだところで「はぁ?」と呆れかえられるだけでございましょう。

しずかに過去を反芻していればイイのであります。

と、思いつつも、時計屋に相談しに行こうかと思っております。
「なんとか動くよーに直して欲しい」と。
「いくら費用がかかっても良いから」と。

止まった時の間に、自分で言うのもオショシイのですが、占いの腕をすこしは上げたつもりであります。
そーして再び、時を刻みだしたら、それはそれで楽しそうなのであります。

2024
11.30

35年以上も愛用している、断易の道具である神蓍が、メシャリと潰れたのであります。

空前の、いや気の遠くなるほどの金運を依頼されてのことでありました。
神蓍を回していると、親指を添えていた部分が力を入れたわけでもないのに崩れるよーにひしゃげ、そして破損したのであります。

骰子のいくつかは点々と転がり、さいわいガラスの蓋は割れませんでしたが、おそらく、あまりの重大な占的をまえにして、神蓍が耐え切れなかったのです。

本日、木工ボンドで修復を試みましたです。

易者でも、これは「一生に一度あるかないか」の相談ではないかと思ったりいたしました。
むろん、他の相談者の抱えている問題と比べたわけではございません。
あくまでも私メ自身の問題としてであります。

そして出た眼は、まさしく現状にピタリと当てはまっているのでありました。

その卦をご紹介したいのでありますが、そのためには、占的の内容を述べなければならず、しかし世界のマル秘事項でありますれば、この件が落着し、相談者の利益が確定したからになるのであります。

神蓍が壊れた時、
「心底、骨の髄まで易者になってしまったか」
と思わずにはいられませんでしたです。
それは悔やみではなく、はんたいの歓びでございましたです。