2021
09.22

どことなく茅ヶ崎も秋めいてまいりましたです。
こころもち樹木の葉が色づいているのでした。

自粛に協力しているのではまったくないのですが、貯めていた外出する用事を一気に片付けようとしたら、丸一日、クルマでの移動になってしまったのであります。
自宅の茅ヶ崎周辺でしたが、あまり通ったことにない通りを運転しておりました。

軽い方向音痴に陥りまして、それは悪い気分ではございません。
知らない町を旅行している気分なのでした。

「釧路に、いぜんは今頃、旅行していたなぁ」
数年前の秋、北海道を、夕焼けが名物だという釧路へと南下していた時を思い出しましたです。
1300ccのマツダのレンタカーは、なかなか軽快で、燃費も驚くほど良く、給油所のすくない大地において不安はほとんどございませんでした。

ただひとつ残念なのは、音楽が聴けないこと。
民放のラジオでは、私メとしては、やや面白くないのでございます。

釧路は、日没が早く、まだ三時だというのに、関東の五時頃のあたり。時差の凄さを知らされましたです。

そんな思い出に浸りつつ、用事をひとつひとつ消化していったのでございます。

右折しようと、ふと前の車のナンバープレートに目がいきました。

「946〇」

くしろ、ではありませんか。

さきほど耽っていた思い出の「釧路」。

幼稚なシンクロニシティにウキウキしてまいりました。

そーいえば、最後の友人のサイの墓を見つけにお寺に向かっていた時も、前の車のナンバープレートが「3110」。「サイトー」なのでありました。
つづけざまに「8895」のプレート。「早く来い」。
ははやく墓に来いという意味なのか、あの世に来いという暗示なのか。

老母が助手席で、私メの数字解読に
「やんたごど!」
とおののいていたのでした。

この世には、面白いことがころがっておるものでございます。

2021
09.21

2021年の中秋の名月であります。

月が目に染みるほど美しいと感じるのは老いた証拠かもしれません。
それとも心が弱っているためなのかも。

草花にも、それは言えること。
春の桜の花を見上げ、秋の桜葉の紅葉に吹かれ、しみじみしてしまうことは、若々しかった少年の頃にはございませんでした。

花鳥風月ほど退屈なモノはなく、それよりも、寒い曇天の教室で、生徒の誰かが、
「雪!」
いっせいに外に首を回すと、窓外で、その冬、はじめての雪が降っていたりするほうが、刺激的でした。
「冬だな、いよいよ」
教員が呟き、授業に戻るのですが、初雪の日は、心に不思議に充実感が湧いてきて、唾液も濃くなった気がするのでした。

しだいに年齢がかさみ、花見や月見をすることになり、
「花より団子」とか「月見団子」
を経て、花鳥風月へと老いていくのかもしれませんです。

さて、狂った1年も9カ月が経過いたしました。
風説にあおられ、政治にもてあそばれ、時代は一瞬にして様変わりし、へとへとに疲れている目には、今夜の月は、
「もう死のうか…」
などと語りかけているように見えているかもしれません。

猛威を振るったデルタ株。
それが今月にはいって急速に衰えを見せていることに不思議を覚えますです。
ワクチン接種の成果ととらえたい人々は多いよーですが、果たしてそーか。本当にそーか。変じゃないか。
来冬には北京の冬のオリンピック…。
なにやら、雲間からのぞく月のごとく、見えてくるものがございましょー。

コロナという太陽の影である月の光。
太陽は直視できませんが、月ならば色々と見ることができますです。

今夜の月よりも、昨夜の月の方が、美しく見えるのでございますです。

 

2021
09.20

ついに廃屋になったお家でございます。

まえは、家の中から野球のTV感染をしている笑い声が聞こえておりました。
その頃から衰退の兆しはございました。

だいたいにして野球など自分に関係のない選手どもを応援して、運気が上がるはずがございません。
大谷某かが、原爆投下国で選手として野球をしているそーですが、誘拐され、両腕でも失ったのであれば、手を叩いて喜べますが、大活躍している姿に応援することほど、自分の運気を下げる行為はございません。

だから、この世の大部分が不運なので、それでイイのですが。

スポーツだけでなく、すべてに言えることであります。
とにかく、運を上げたかったなら、TVを一切見ない決意が必要であります。
「ラジオなら良いですよね」
ダメであります。
「死ね!」
と言って切って正解。

さて、この家。
蔦が伸びだしたあたりから、口論の声が響き出しました。

フルオープンのスポーツカーがありましたのに、それが消え、ガレージは汚れだしました。

蔦が家を覆うに比例して、家族は生気を失っていったのでございます。
まるで蔦にパワーを吸われてしまったよーに。

私メは目撃しておりませんが、或る夜に、救急車がこの家の前で朝まで停まっていたとか。
その夜を境にして家の人たちを見かけないとも。

家相書には、蔦の話はございません。
が、原書に記されてなくても、蔦に支配され、呑み込まれ始めた家は、大凶と見るべきでありましょう。

「おぞっ!」
と寒気を覚える家が、ご近所にございましたら、しばらく観察してごらんあそばせ。
生きた家相学を学べることをお約束いたしますです。