2023
03.23
このところの暑さで、陽だまりにバッケが狂い咲きしておりました。
やわらかい土をもりあげて顔をのぞかせる蕾が極上なのであります。
つぼみの何が極上かと申しますと、バッケ味噌なのであります。
そのまま炒めても大丈夫。
が、花がひらいてしまったバッケは、いちど湯がかなければなりません。
しかし、極上のバッケはなかなか見つけられませんでした。
と、いうことは、寒さのぶり返しがくることを植物どもは察知しているのかも。
とりあえず、今年の春の初物として、笠のひらいたバッケで我慢することにいたしましたです。
バッケを細かくきざみ、沸騰したお湯に投入。
するとバッケが、それは美しい黄緑色に透きとおる一瞬が30秒ぐらいでまいります。
それはヤンキーの姉さまが、男にマジ惚れするさまに似ております。
逆立っていた陰毛がキレイにそろい、背中の毛も消えるよーに。
さて、そこですぐさま火を止め、冷水へ。
これでエグミは取り除かれますです。
スーパーなどで市販されているバッケの多くはハウス産だと思われますので、この過程は不要であります。
だいたいにして春の野草は、鳥や昆虫に食われることへの対処としてエグミがキツイのであります。
ハウス産の野草はまるで素直。下手な嘘つきでございます。
世間知らずのお嬢様が男に食われるが如しでございましょーか。
私メは、どちらかというとエグミがある方が好み…いやいや、どちらでもまた味わい深いのでありますが。
あとは味噌と砂糖と、お酒と味醂で味をととのえるだけであります。
調理したてのバッケ味噌を熱いご飯にのせると春の香りが口いっぱいに広がるのであります。
ほろ苦さとともに。
そのほろ苦さとともに脳裏を、かつてのお女性たちの若き姿が走り去るのでございました。
春雨が、ガラス窓をしずかに濡らしているのでありました。
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2023
03.22
モリオカもまだ3月だというのに激しく暑くなり、車の空調も冷房に切り替わっておりました。
普通なら異常気象だと騒ぐはずなのに、人々は別のことに夢中になっておりましたです。
私メははなっから野球には無関心なので、WBCに興味もクソもございません。
昨日、盛岡駅から自宅までのタクシーでも実況中継がかかっておりまして、「喧しいから」と消してもらいました。
とたんに運ちゃんが沈黙しました。
中国人が故意にバラまいた新型肺炎では、ワクチンワクチンと騒ぎ、個人ナンバーカードでは長蛇の列とか。
サッカーのワールドカップの時も、「アホか」という気力も出ないくらいの騒ぎ方をいたしました。
「こんどはナンですか~」
桜でしたか。
桜をそれほど好まないお方もいることなど無視して、「桜、桜」と、大行列。
その次は核でしょうかねぇ。
それはない、と言ってますけど、兵器を持ったら使いたくなるでしょーが。
ロシア、ウクライナの前線では、日々、多くの死傷者がでているらしいのですが、じつに呑気なものでございます。
それとも、未来のあまりの恐怖に発狂し、「ええじゃないか、ええじゃないか」の令和版なのか。
いずれにせよ、自分に関係のないことに熱狂するのは、四柱推命的な観点からすると漏気大過現象で、運にとってはなはだ芳しくございません。運の上げ方を頼まれたわけでもございませんので、勝手にすればよろしいのです。
あまり申しますと、叱られそーですね。バカバカしいのでここらで止めます。
でもですね、春を好まないヤツもいるのであります。
白鳥さんでございます。
「ヤンタヤンタ、春は大嫌い」
とばかりに、ぬくぬくずい春を逃れて、寒いシベリヤへとほとんどの白鳥さんは飛んで行かれました。
ユーミンのよーなドラ声をはりあげ、実家の真上を去っていくのであります。昨日も、また今日も。
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2023
03.21
モリオカには昼頃に到着し、実家でくつろぐこともなく、
「墓参りさ行ぐべ」
と老母をともない国道を南下し、遠方の墓地に向かったのでございました。
途中、「水を忘れた」ので、コンビニに立ち寄り二リットルの水を求め(向かう墓地には水がないのであります)、そこに古い木造建築が残されていることに驚いたのであります。
窓から内部を覗きましたが、家具などの類はなく、がらんどう。
妙に股間がムズムズと反応するのでした。
博物館などで、原始人の竪穴式とか、庄屋が使っていた古民家にはいると決まって、そこで暮らしていただろう人々の気配が生々しくよみがえるのでございます。
萩にある高杉晋作り生家を見物していた時も、
「長州め!」の怒りよりも、奥座敷とか廊下から漂う異様な空気に動けなくなりましたです。
日本髪の眉をおとした鉄漿のお女性が襖の向こうに座っているよーな。
で、低い梁に頭をしたたかに打ち付け「痛てて!」我に返るわけですが。
コンビニのパーキングのわきの古い建物からも、その気配を感じ取れました。
おそらく村役場かそういう使われ方をしていたのでしょうか。
働いていたた明治大正昭和のお女性の気配がたしかにありました。
「欲しい…」
と思ったのでございます。
車に戻り、助手席を見ると、そこには人間の残骸がおりました、母という名の。
これは要りませぬ。
いや、鏡を見ても、私メという残骸があることでありましょー。
しかし、みんなどこへ行ったのでしょーか。
行きついたであろう、墓の、墓参りを急いだのでありました。
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死の扉 /
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