2025
01.18

高校の同級生から電話がございました。
夏に集まりがあり、電話番号の交換をした記憶があり、しかし相手は男子。

「新年会の誘いが来ぃひんやけど」
関西訛りでありました。
彼は京都に40年以上住んで家庭もあるのでした。

けれど、私メだとて、東京暮らしは長いのでありますが、いまだにズーズー弁が抜けませんです。

そーいえば、夏の集まりの二次会で、彼はポツンと一人場の外に置かれておりまして、「なんでやろう?」と私メに語りかけたことを記憶しております。

「原因はその関西弁でねのが?」
私メは故意に、東北弁を強めて、「モリオカの奴らはよぅ、関西弁を使う相手を、詐欺師と見るがらな」
これは実際なのであります。
モリオカという土地は、根っこで冷たく、よそ者を嫌います。
とくに関西弁を用いる相手に対する拒絶は実感いたします。東京弁なども例外ではなく、たとえば、順子というお女性が東京弁を使うと、すぐさま「ズン子」とあだ名するのであります。
同じ背の高い大阪育ちの順子がいて、関西風を吹かせると、「ジャンボ」と呼んでよそ者とみなすのであります。

「オレにも来ねよ」
新年会の誘いは、私メにも届いておらず、それはそれでスッキリなのでありますが、電話の主は、嫌われていることを気にして止まないご様子でした。

世の中には嫌われることを極度に恐れる方々が多く存在いたします。
そんなことを気にしていたら、自分の運命を委縮させてしまうのであります。
嫌われて当たり前。
嫌われるのは時間の問題。
と認識していれば、よけいな神経を使わなくても済むのであります。

夏の集まりで、彼が私メに語り掛けたのは、私メもまたポツンと桟敷に置かれて同類と見たからでございましょー。

2025
01.17

1977年の1月17日ですから、今から48年前、東大法学部4年の学生が、三四郎池の藤棚で首つり自殺をしたのであります。

遺書から、画像の数式が見つかり、「生きる意味の数式」と呼ばれておりますです。

数式は「生きる意味」を積分であらわしたものでして、目を引くのは、出生時から死亡時までを動く範囲として「∫」の上部に死亡時、下部には出生時置き、これに、現在生きることの値打ち×死亡時×時間として、出た答えがイコール「自殺が最善」となったのであります。と言うか、そのように東大生は解いたよーでございます。

算式そのものは、さほど難しいものではなく、当時は、この学生が司法試験に叩き落ちたため悲観しての自殺と騒がれましたです。

しかし、なるほどと易者である私メは腕を組むのであります。
運命を数式で解くのも一興だ、と。

だが、まてよ、とも思うのであります。
この数式には他者からの影響が考慮されておりません。
運命は自分だけの命式に拘ってしまうと絶望とぬか喜びしかございません。

他者との絡みの中でこそ、幸運と不運が乱れた糸のよーに襲ってくるのであります。
たとえば金運といっても、お金は他人の財布か銀行にしかございません。
山に入って土を掘っても、お金はでてまいりません。
お金を得るには他者との絡みが必要なわけであります。

もしも、この東大生が四柱推命を学んでしたら、
「惜しい!」
とも思うのであります。

いや、であっても、自分の命式に絶望し、やはり2.7メートルの藤棚にぶら下がる運命からは逃れられなかったのかもしれませんけれど。

2025
01.16

まことに奇妙な商売であります。
人の運命を鑑定を生業とする自分を、なかば軽蔑し、なかば感心するのでございます。

運命を鑑定する方法として、命・卜・相という三種類の占いがございますが、その中の相の占い。
人相とか手相とか、形で占う分野を相の占いと申します。

人相で、耳は「生涯、その形を変えない」と言われております。
亡父の死体を前にして、まっさきに視線を集中させたのは「耳」でございました。
「これは父の耳ではない」
それほど、縮こまっておりました。
死んだ直後に変形したものと判断いたしました。
生きていた時の耳とは、その形があまりに違っておりましたから。

さて、画像の坊主。私メであります。
まだオムツをつけていた頃でありますから一歳になったか、そこいらの生まれてホヤホヤの頃でございましょー。この現場をなんとなく記憶しております。

アップしてみましたです。

すでに耳の形となっております。

耳は生涯変わらないという点で、その耳判断なるものが出来たようでございます。

変わらないと言っても、柔道家などは、その寝技の練習において耳を畳にこすりつけたり致しますから、かなり変形するものであります。

ふと思うのは、美容整形で、目や鼻を整形いたしますが、耳を整形対象としたことは聞いたことがございません。
「このホクロを取った方が良いかどーか」
と額のホクロを指で示す人はおりますが、「耳の形を整えたい」という人は、私メの鑑定ではゼロでございます。

さて、この画像は現在の私メの耳であります。
自分撮りなのでピントがぼやけておりますが。

ふむふむふむ。
変わっていないと言えば変わっておりません。
少なくてもかなり似ておるのは確かであります。

垂珠がやや膨らんだかというくらいでしょーか。

妙な円形が三つ、さやえんどう豆みたいにございますが、それはそれで別の話題になるから止めますが、幼児期の耳と比べてみても、あまり成長していないことを興味深く受け止められるのでございます。

こんなことを日々、観察したりするのが易者なのでございます。開運、衰運を判断の材料として、相談者の行動に、GOとかSTOPをかける時にも、耳相をみたりしているのでございますです。