2021
03.01
「よく気がつくなぁ」
お女性に感心することがございます。
「あの人、ズラよね」
コレであります。
私メだけかもしれませんが、男がズラをしているかどうかなど、まったくと言っていいほど気づきません。
いや、男だけでなくお女性のウィッグにもまったく…であります。
「彼女って若いよなぁ」
などと賛しますと、「ウイッグよ」。
諭さされても、「それにしたって、なかなかイイ女だ」と心の中では否定することはございません。
たしかにベッドではずされて薄毛では、いささか興ざめするかもしれませんけれど。
さいわい、私メの頭髪はまだ健在。
神に感謝しておるのであります。
30才の時、大病っぽい経験をしたことがございます。
突如、高熱が出て、二カ月ほど42度で苦しんだことがあります。
鎮痛剤を飲むと、三時間だけ40度に下がるので、その間に汗まみれのタオルケットを洗濯。それを繰り返しました。
味覚も変になり、食べ物が砂利のようだという形容がピッタリでありました。
「これではダメだ」
と、吉祥寺の回転寿司屋に行きましたら、目が回り、階段から転げ落ちたものであります。
それでも自力で治り、しかし、つぎの三か月は猛烈な下痢。
下痢が収まったら、こんどは抜け毛がはじまりました。
洗髪すると信じられないほどの量の抜け毛が排水溝にたまるのでありました。
結局、体重は25キロ減。靴のサイズも1センチ縮まりました。
あの時ほど、ハゲの恐怖におののいたことはございません。
大運の切り替わり時で、それから激動の30代がはじまったわけであります。
抜け毛が収まったのは翌年の春。気がつくと、剛直毛だったのが、猫毛になり、髪の毛がバカに細くなっておりました。
自慢というほどではございませんが、
「なめらかな髪の毛ぇ…」
お女性にうらやましがられたりいたします。
同じ年代の男たちには、
「許せない」
見わたせば、白髪やハゲが大多数なのでございます。
チェックすると、十傳スクールの講義した後は抜け毛が多いよーであります。
さて、何を言いたいのか。
中国人がもたらした新型肺炎のワクチンについてであります。ワクチン接種の副反応…いやいや副作用としてのちのち抜け毛がおこらないとは誰にも分かりません。実験データがないために、副作用については沈黙しておりますです。
カツラや植毛業界が忙しくなったりして…。
フェイク情報だと摘発され、バツとして、丸刈りにされても困るので、これくらいにいたしますです。
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2021
02.28
断易は、八面体の象牙のサイコロ六個を、それぞれ神蓍と呼ばれる箱に入れ、それを振って占うものだと観念化されているフシがございますが、それはまったくの誤解であります。
陰陽が出て、その陰陽の六つの配合によって64卦が出ればイイのでございます。
私メは初期のころは、六角の鉛筆を転がして陰陽を出しており、けっこう当たっておりました。
モリオカの新しい納屋には、四代前の柳ごおりが縄で亀甲結びされて保存されております。
ほどいてみますと、画像のような筮竹と算木が収められておりました。
四代前は僧侶でしたから、本来は、仏教と占いとは近いようで無縁でございます。
占いは神様不要の技術だからです。
が、なにしろ山寺の坊主でしたから、村人からいろいろと相談を受け、筮竹で占ったりしていたのでありましょう。古新聞にくるまれて虫食いの易の本もございました。
神田神保町の出版と奥付けされている和綴じ本ですが、
「これで、よくぞ占っていたものだ」
内容は幼稚でございます。
面白いのは「未収金」という帳面が残っておりまして、占いのお代を払っていただいていない方々のお名前が記されていたことであります。名前が縦線で消されているのは回収済みということでしょーか。
いえいえ、お話がそれましたですね。
言いたいことは、筮竹によって64卦を出しても、また算木をぶん投げて、その陰陽で卦を出しても問題はございません、なのであります。
易聖と称される高島嘉右衛門は小伝馬町の牢内で、筵のワラを60本引き抜き、それを筮竹として易の勉強をしたとかの逸話もございます。
私メなどは、出先では、48だったかのマス目をプリントしたものに数字を記入してもらい、卦を出しますです。
ありゃ、いまの初等科で講義したかな?
象牙のサイコロが、ブランド下着だとすれば、マス目の数字や鉛筆は、使い捨ての下着でしょうか。どちらでも剥ぎとってしまえば、麗しい女体に何ら違いはないのであります。大事なのは、下着ではなく、官能のツボを察する老練なのであります。
つまり勉強が大事であると同時に経験も大事。
初等科を学んだなら、ぜひ他人を占ってもらいたいのであります。
「自信がないから」とか「責任をもって占いたいとか」
のお気持ちは分かりますが、実占をしながら、お勉強するのがイチバン身につくのであります。
お道具はどーでもイイのだと申しながら、鷲尾先生の教室に通っていらっしゃった実占家のオバちゃんたちに、
象牙のサイコロと神蓍の購入を勧められたものでした。当時でも合計九万円。痛い出費でございます。
「覚悟がつくから」
と。
そして、「すぐに元が取れるから大丈夫よ」。
元は取れましたが、易で生活できるよーになるのは、それから七年の時間が必要でございました。
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2021
02.27
蜂の巣除去業者のお兄さんに聞いたことがございます。
「心配事があると蜂に刺されるんですよ」
そーいえば、小説でも読んだことがありました。
養蜂を営むセラピストの話であります。
悲しいことを考えると防護服に蜂が集まり、楽しいことを考えると蜂は寄り付かないのいうエピソードでした。
しかし、クライアントは楽しいことを思い描いても、蜂が密集してしまうのです。
「それは、本当に楽しいことではないからよ」
セラピストは言うのでした。
蜂に限らず、動物は、相手が弱みを見せると攻撃を仕掛けることは見聞きしていると思います。死にそうな人の家をカラスが旋回するとか。
愛犬のロメオも、死ぬ三か月前の老犬のセラーを押し倒したりしておりました。
人間だって同様であります。
弱体化した隣国を攻撃し領土を奪うことは、太平洋戦争終結後に、ロシアが襲ってきて色丹島などを占領された歴史で実証されております。
では、運はどーか。
幸運な人はどこまでも上手くいき、不運に泥むとたちまち数々の悲惨に追い込まれることは、30年ほどの実占から、身に染みるほど実感していることでございます。
四柱推命で測れば、誰にでも不運の時期は来るものでございます。
問題なのは、不運の時期の過ごし方。

自棄になって大酒を飲んだり、濁情に身を投じてしまうと、幸運の時期が到来しても、対処することができません。
小説の中でセラピストは語ります。
「悲しいことはすぐに浮かぶのに、楽しいことを考えるのは負担なのよ」
楽しいと思ったことは、じつは楽しいことではなくて、その場限りの心のメッキ。
コメディアンのお戯けに腹を抱えて笑ったあとの、虚しさ、怒り。
楽しい事とはいったい何でありましょーか。
悲しい事や不幸から逃れるための一時しのぎとしてしまうから、蜂という不幸に襲われるのでございましょう。その恋は逃避としての恋ではないのか。その趣味は本業で評価されなかったための慰めではないのか。スポーツ観戦。映画、演劇鑑賞。歌。そこに本当の喜びはたぶんございませんでしょう。元気をもらったなどは錯覚。
やはり、
「健康」「お金」「自由」の三要素のバランスかもしれませんです。
どーすればイイのだ。
答えは見つかりません。いや、見つかっております、私メなりに。
現在、流行りつつある「みんなが喜ぶことをすることが幸せなのだ」の美辞は違います。それは成功者が公の言葉として語ること。
ただ一つ、蜂や蚊に刺されず、犬に吠えられず、カラスやクマに襲われず、喧嘩を吹っ掛けられず、イジメられず…が、ひとつの指標なのであります。
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