2011
06.07

蔓バラに蕾を発見いたしました。

六年にもなりましょうか。蔓バラを庭に移植しましてから。
さっぱり咲かないのであります。
「肥料が悪いのでは」
「選定の仕方に問題があるね」
などとアドバイスされ、そのつど実行していたでありますが、この三年は諦めてほうりなげていたのであります。

が、どうでしょう。
二つだけではありますが、薄紅色の蕾をつけているではありませんか。

あきらめかけていた片思いが叶いかけたような嬉しさかございます。
どのようにアプローチしたらいいかと悩んでいた相手から「お泊りしましょうよ」と持ちかけられたような歓びがございます。

オーソン・ウェールズの映画「市民ケーン」で主人公が、
「薔薇のつぼみ…」と死に際に意味不明の言葉をのこすのですが、我が庭もバラの蕾みに恵まれたのであります。

これを奇跡と受けとめるかどうするか、ちと思案しているところであります。
蔓バラなのだから花が咲かなかったのが、そもそもおかしなことであり、花が咲いて当然。それを奇跡だと浮かれるのは妙なことだ。
いやいや、いままで花がつかず、やっと蕾がついたわけだから、奇跡だと喜んでいいではないか。

バラの蕾を「恋」として考えればイイのかもしれませんですね。
若い子との恋が実った、と。
むむっ、奇跡というより、遺跡かもしれませんですね、それは。
ローマの古い競技場の崩れた煉瓦に咲いていた花。そういう恋ってなかんじでしょうか。
ジジイとしては嬉しいことですが、相手の若い子からすればどうなるのか。
卑下することはありますまい。
老練のてさばきで完成品とすればいいわけでありますから。

蕾よつぼみ、ちゃんと花をひろげておくれ。