2011
06.08

庭はしずかな百花繚乱のきせつを迎えているようであります。

崩れかけたコンクリの隙間から、か細い茎にささえられて名も知れない花がほころんでいるのでありました。

映画にもなった「マディソン郡の橋」の書き出しも、たしか、「道ばたに咲く名も知れない花にも…」とかではなかったかと、ふとおもいだしました。

さいきんのはなしですが韓国料理屋で地味なカップルをみかけまして、信じられないほどたくさんの料理を平気な顔で食べていました。
「コムタンスープを分け合ってるから、あの二人はできてるね」
と誰かがささやいていました。
地味なふたりもいつか、
「そういえば、あのときオレらもずいぶんたべたよね」
としみじみ懐かしむことがあるでしょうか。
それとも、別のだれかと食事しながら、
「あれから何年過ぎたのかしら」
と、不意打ちのように別れた彼のことを思い出したりするのでしょうか。

「何を考えてるの?」
「えっ?」
と振り向いたら、後ろの席にいる他人の声、というケースもあるでしょう。
自分が一人で仕事の合間にいそいで食事しているわけです。知らない恋人たちが料理を分け合っていたりしているのを、なんとなく眺めているんですね。
あのときは幸せだったなぁ、と「あい席いいですか」と店員にせかされるまま、レシートをつまんで立ちあがりながらおもったりするわけです。

実をつける恋ばかりが恋ではありません。花の期間はみじかくすぎていきますですね。

このあいだ白い花をさかせた柚子は、いまはちいさな実をつけています。
このいくつかが冬に黄色くのこるのであります。

ある日わたしは恋をしました、とつぶやき、それは過ぎた恋なのか、これからやってくる恋なのか考えたりして、いいえ、いまの彼との恋は、あれは恋といえるのかしらとクスリとわらって意味もなくメールをひらいたりする、そんな瞬間も幸せなのかもしれませんですね。