2011
06.21

なぜ、新しい都を京都にしたのか。

それは真東に天智天皇が支配していた大津京があったからなのであります。

風水などで四神そんのうの地だからと言われていますが、それはいい加減すぎる説でございます。
当時の陰陽師が占いの知識のない人たちに分かりやすく説明するために風水を取り上げただけで、じっさいは、もっと深いのでございます。
北は玄武で、船岡山があるとか、南は朱雀で巨鯨池があるとか、そんなものは後からだって作れるのであります。

私は船岡山は人口の山ではないか疑っておりますです。

平安京を、京都のあの場所に設置したのは、天智の血統である桓武天皇が、天智天皇のいにしえの時代へ回帰したったからなのであります。

実際は都を大津に戻したかったというのが本音かもしれません。
が、そこまで方位が許してくれなかったので京都のあの場所で手を打ったと、私は解釈しておりますです。

こまかくてスミマセンが、右画像は天皇の系図であります。
天智天皇と天武天皇は兄弟でしたが、仲たがいして、天智天皇が亡くなった後は、天武天皇の血筋で固められていたのであります。

それが、桓武天皇の前の光仁天皇から天智天皇系に戻ったのであります。
天智天皇は大津の大津京で政治をとっていたわけで桓武天皇とすれば、天武天皇系に汚れている奈良をどうしても出たかったものとうかがえるのでございます。

できれば大津京へ。
無理だったので真東に大津京の大極殿が位置する京都のあの場所に平安京を設置したという次第なのであります。

平安京の興味深い謎はたくさんありますが、ざっと説明すればかようなわけだったのでございます。