2011
06.13

関東では雨の日がつづきますです。
梅雨らしい日々なのであります。

ほかのきせつと異なり、雨の季節は情緒的なエロさをもとめる傾向にあるような気がいたします。
真冬だの真夏はまっぱだかの女の画像を好むのですが、梅雨時は苦い薬を飲みたくなるような気持ちがつよく、女に対してもより厳しさが加わるのであります。

マリリンモンローの一枚であります。
若い時の画像もいいのですが、夜の木陰のこのいちまいは心を刺激いたします。
かすかにつけたトワレがただよってきそうな気配すらかんじるのであります。

笑い、あるいは論じるというような外の顔をみせながら、あるせつなにふと真顔になるときの女はズキンとするほど美しいのであります。

ベッドでまどろんでいて、瞼をあけると、となりで女が私に、じっと視線をそそいでいる時のような、その表情から、女の内面へと滑り込むことのできる瞬間。その、時計でははかることのできない瞬間に、男と女は深い川へと堕ちていくのかもしれません。

欲望と欲望のはざまの一瞬。

くちびるが、ふれあうまでのながい一瞬の快楽は、それは人生のなかでも数多く経験することはできません。
ひとつの恋がはじまって、やがて終わるまでに、いちどかにどあるかないか。
そういうキスをせずに、いいえ、しらずに結ばれたり別れたりする恋も多いのであります。たわむれに交わしたキスに「どうして、あの人とこんなキスをしなかったのだろう」と残念におもうキスもあることでありましょう。

なかなか会うことのできない二人が、やっと誰もいない場所でくちびるをあわせる、その瞬間のプールサイドのきらめきにも似た、おののくようなしろい時間。
欲望がたかまるとひいていってしまう、そのためらいの瞬間。

言葉では分からなかった相手の気持ちがくちびるから伝わってくるわけであります。舌のうごきから相手のこころがとけあうようにくみとれるのであります。

欲望と欲望のはざまの、いつもは忘れたまま捨てられている、つかのまの白い時間を、雨を眺めながら思い出したりしているのであります。