2022
02.06

いつのことでしたでしょーか。

キムラ満夫を名乗って、別人になりすましの旅行を楽しんでいた頃なので、かなり以前であります。
さいきんは、時の経つのが加速的でして、
「おやおや、もうそんなに昔のことなのか…」
なんて、びっくりすることがございます。

この1枚の画像が出てきて、目が離せなくなったのは、
「不思議なことがあるものだ…」
その、奇妙な思い出が、現在と細い糸で結ばれているからであります。

1992年。私メは、ジプシー事務所から放り出されまして、一人で稼がねばならない境遇の真っただ中におりました。
さいわい、占い雑誌の、はみだしに無料で掲載記事をのせられる幸運があり、「男の心理教えます」などと許された30文字で、諦め気分で載せたのであります。
それがヒットしまして、電話占いで、その冬を乗り越えることが出来ましたです。
一件、三千円の料金です。

鑑定料の回収率は95パーセント。
どうしても料金を払ってくれないお嬢様がおりました。名前も、住所も知っておりますが、なにしろ遠方でして、「お支払いください」と電話しても、「昨日、送りましたんけど」とはぐらかすばかりでした。
「バカヤロー!」
忘れることにしたのであります。

そのお嬢様の名を発見したのが、この画像の街。風待商店街とございますでしょう。
見かけたのはその島の船発着場でありました。

最初は分かりませんでした。
名前を見て、「おや?」と首を傾げただけであります。

思い出したのは深夜、旅先の旅館でお酒を飲んでいた、ある瞬間に、
「おいおいおいおい、そーいえば、この島だよな、住所は」
彼女は船着き場の観光案内をしていたのです。
翌朝、おそるおそる小さな土産売り場に身をひそめて伺いましたら、やはりおりました。
もとより電話占いですからお顔は知りません。

勇気を出してカウンターに近づき、胸の名札を見ましたら、やはり、彼女なのであります。
すこし疲れていて、不愛想な中年のお女性なのであります。電話鑑定から20年以上は経っていますから若くはありますまい。
その若くないところからも、やはり彼女なのだと確信した次第でございます。

が、それだけでありました。
「次の船は何時でしょーか?」
「そこんに書いてんますから」
面倒くさそーに後ろの掲示板を彼女は指さしたよーでした。はっきりと思い出せませんが。
眉間に立て皺がよった彼女の顔を見てクルグルしたよーな気持ちになりましたです。

「頑張ってちょーよ」
心でしずかに応援したことは、覚えているよーな気がします。