2023
04.03

片目での仕事は、じつに効率が悪いのであります。
ゲラのチェックなどが押し寄せまして、これが遅々として進みませぬ。

1週間前と比べると、ずいぶんと見えるよーな気がいたしますが、しかし、細かな作業は休み休みしないといけません。

さらに自転車にも乗れないのでありまして、さらに疲労が増してまいります。

けれど聴覚や臭覚は過敏になったよーな。
電車内で、
「酒を飲んでいるな!」
と思ったら、消毒薬と間違えたりはいたしますが。

「むっ、お湯が沸騰している」
「時計の秒針が聞こえる」
などを鼓膜が感知するのでございます。
さらには、通りを、私メの悪口を言ってやがるヤツがいる。
いやいや、これは幻聴…被害妄想…いいえ自意識過剰というものでありましょー。

またお女性の皺だのシミだの白髪がみえず、シルクスクリーンを通しているようで、お肌が乳色に美しく見えるのは視力の落ちた収穫ではないかと思ったりいたします。

ただ、PCの画面だけには手を焼くのでありました。
このブログや朝夕刊のメールはいつもの倍以上の時間を要しますし、原稿作成については、入力だけで精いっぱいでして、思考力が停止状態に近いのであります。
奇門遁甲カレンダーの作成が終わっていることは不幸中の幸い。しかし、間違いがないかの再チェックの作業は大幅に遅れているのでありました。
はやくエロ動画の鑑賞を…!

それでも四柱推命での年運と、目の不調が符合することに驚きを覚えているのでございます。
だとすれば、まもなく回復することになるはずでありますが。

2023
04.02

例年より桜の開花がはやいと聞いていたので、今年は諦めていましたが、名も知らぬ神社の境内に満開の桜が咲き誇っておりました。

咲けば散る。
これが桜の宿命でありましょーか。
咲きたくて咲くのでもなく、散りたくて散るのでもない。桜はそういう植物なのであります。
そこに人生をマッチングさせたくなるだけのこと。
短い春の最後を飾る花なのでございましょう。

春を、人間の青春と置き換え、春夏秋冬と数えれば、私メはすでに冬。
玄冬の時代を迎えておるのであります。

花咲じじいの物語を連想いたします。
愛犬を焼いた灰を桜木に撒くと、いっせいに花開くという、あの童話を。

不感症のお女性に快楽をもたらす爺さんの話だと、かなり以前から斜に構えて解読しておりましたです。
すると、犬が「ここ掘れワンワン」も、まるでエロ話のように迫ってくるのであります。

映画「燃える秋」のなかで、老いた佐分利伸が、若き真野響子に、
「さぁ、脱ぎなさい」
としゃがれ声で促すあのシーンを私メは30代のころから、いくども真似ておりました。
自分もきっと、いやぜったいに言うんだ、「さぁ、脱ぎなさい」と。

通りかがかりに目にした桜の老木は、
「そろそろイイでないの?」
励ましてくれているよーに感じたのであります。

2023
04.01

暴力団ではございません。
マフィアでもございません。

カンの良い方々に、気づかれつつありますが、左目の視力をここ二週間ばかり失っておるのであります。
原因は不明。

もしかすると、4月から開講する「奇門遁甲造作法」の開講を阻むなにものかの仕業かもしれず、だとすれば「面白ぐなったじぇ」なのであります。

この造作法は、奇門遁甲のプロをきどった輩でも、知っているものはごく限られており、公開を禁じられている禁断の秘術なのでございます。
受講させた方は、まさに僥倖というしかございません。
生涯の財産となることでありましょう。
この講義がどれほど貴重かということを申し上げようと思いましたが、それも、
「あざとい」
と思いまして、受講締め切り後の本日にUPした次第でございます。

さて、額の擦り傷は、目が不自由なために、実家の廊下を歩いていたら壁にぶち当たってこさえたもの。けっして闘争事件で負った傷ではございません。

視力を失ったと、騒いだとてせんないこと。
他人にとったは他人事。
ここは断易などを深く悟る機会だと心得、見えぬ左目を、相手の暗い内部に分け入るという古くからの訓練を試みたのでございました。

見える左目で表面に出ている事象をまさぐりながら。
お蔭様で、断易の神髄を体験いたしましたであります。
『独眼流断易』と名付けました。視力を失って得た、これまた大財産なのであります。
鷲尾先生もまだ見ていない断易の世界。
私メの占いは断易からはじまり、断易に合流しているのであります。
難解な占いと言われておりますが、私メを信頼していただければ、なんの苦労もございません。
こちらはYouTube版の断易初等科からスタートいたします。
まだまだ受け付けますですよ。

で、町医者に見捨てられ、現在は、大学病院に通っておりまして、眼球に注射されるなどの拷問を受けておりますです。
べつに心配していただかなくても結構なのであります。

こういうことは易者の宿命でありますから。
やっと易者として命を張れるというものでございます。