2013
10.11
10.11
ワインも液体が無くなると燃えないゴミになる如く、私メも十傳スクールの皆様から憐憫の眼差しを向けられつつ、
「もうお呼びじゃないから」
と打ち捨てられるのは、やがて来る運命とでも申すべきでありましょう。
お女性を一人前の官能美人と仕上げれば、あとは抜け殻同然と放り出されるのと、どこか酷似しているのでございます。
けれども、断易、四柱推命と、メキメキと腕を上げられているのは確かであります。
ご自分では「まだまだです」と仰せになるかもしれませぬが、それは実占の場数を踏んでいないだけであり、自信がないだけの話であって、しかし実力は相当に体に沁み込んでいることは間違いございませんです。
しだいに
「教え方が間違っているのでは」
「かなり未熟なところがあるぞ」
と囁かれるのも時間の問題かもしれませぬ。
そうやって育っていくわけで、だいたいにして私メも同様でありましたから、その運命は覚悟の上なわけであります。
それでも、やがて時が過ぎるころに、夢中で勉強した日々を痛いほど懐かしくなるのもまた否定できませぬ。
秋の陽だまりに腰掛けて、過去に愛した相手とのあれこれを白く微笑みつつかえりみるようなものかもしれませぬ。
さて明日と明後日は十傳スクールの六時間ぶっ通しの講義でございます。
一日を何かの決別とするならば、その喪失感を、新たな知識で満たすことは有意義でありましょう。
たとえ、それが占いという、最果ての漁村のように世間の常識からはずれたものであっても。いいえ、常識からはずれたことだから誰も有していない魅力となるのでございますです。