2013
10.20

ちと、さるお方から師弟関係について問われまして、腕を組んで思い出していたのであります。

師弟とは、学校の教員と生徒の関係とはちと異なるのであります。

師は弟子を選べるし、弟子も師を選択できるからでございます。
そこにあるのは一種の恋愛関係に似た愛情と熱意が備わっていなければならないのであります。

私メが最初に選択した師は、激しく個性的なお方でありました。実占より理論家でありまして、運命学的な洗礼を受けたことは、いまでも血や肉になっております。その師匠をさる原因は、まことにつまらない出来事でありました。
夏の暑い午後のこと。私メは団扇であおぎながら講義を受けておりました。
すると、師匠から、
「その団扇はなんだ! 夕涼みしているのではないぞ」
と叱られたのであります。

そこでガラガラと崩れるものがございました。
信頼関係の崩壊を形として感じたのであります。
が、思い出しますと、その、しばらく前に「この師匠はダメなのでは…」
という疑いを持っていたのであります。

叱られたことは、ひとつのキッカケでございましょう。

こういう心情のうつろいは、まさに恋愛関係そのものではありませぬか。

また、もう一つ、弟子がある水準まで来ると、それまで以上の師匠を求めるものであります。
人情的なつながりを断ち切るキッカケを待っていることも否定できませぬ。

弟子はいずれ独り立ちして、師匠と対決するのも宿命でありましょう。

しかし、振り返ってみると、それぞれの師匠は、やはり素晴らしい人物であったことに気付くのでございます。共通しているのは、自分の処し方を、自分で決めていたことであります。学校の教員と生徒の関係や、勤め人の上司と部下の関係と決定的な違いは、ソコにあるのであります。

個性的でありますから、好きになるのも嫌いになるのも極端でございます。
しかし、やはり、信頼関係が歪んだならば、師弟という形は形骸化…いや毒にしかならないものでございますです。

後ろ足で泥をひっかけるようにして去った、多くの師匠にここに無礼のお詫びと感謝の念を追悼するものでございますです。