2015
07.18

台風後の海を見物しにいきました。
重機のようなものが流されて波に叩かれておりました。

心安らぐ風景でございます。
廃墟が世界遺産に登録されるのは、滅びを「美」として感じる人の心の表れでしょう。
「美」と感じるからには、そこに憧れがあるからであります。文明の滅亡を人は心の底で願ってやまないのかもしれませぬ。

男が射精してベッドに果てる時のよーに。
お女性がつづけざまにイカされて死相を浮かべたまま大の字にダウンするよーに。
安らぎとは発展や野望の向こう側に横たわっているものでしょうか。

身内や身近な人たちの犠牲とはいいつつも、人々はいつか死ぬのであり、いちどに大量の人たちが死ぬから新聞やテレビが嬉々として大騒ぎすることも考慮しなければなりませぬ。流す涙は、それらに操られたニセモノの感情かもしれませぬ。いや絶対にそうなのであります。交通事故で死のうが、一度に大勢の人々が犠牲になろうが、遺族にとって死は身内の単体であるのでございます。助けに来ぬという憤りはマスコミのかっこうのネタ。誰も助けに来ぬし、ボランティアだって一時の暇つぶし。オリンピックの方が大切なよーであります。インタビューされたら「まず金をよこせ」と手を差し出さねばなりませぬ。でなければ横っ面を拳でぶん殴ってもよーございましょう。

暴風雨のあとの浜には少女たちの笑い声が切れ切れに聞こえておりました。
それは現実であり確かなものでありました。

ボヤッとしていると、
ほんとうにオリンピックなどという利権の祭典のために、我々は消費税10%をバカみたいに支払うことになるのであります。
サッカーの汚職が発覚しなければ、新国立競技場はごり押しで進められたでありましょう。
「ここはいちど欲を引っ込めてください。悪いよーにはしませんから」
など、誰かが、ふたたび忘れた頃にとりっばぐれた利権を取り戻すのは当然でありましょう。
猪瀬を下ろしたあとの経緯をよーく見つめれば納得するでございましょう。

安保法案の強行採決をみて、おそらく来月に知事選をひかえた岩手県の野党の政治家どもは「バカ国民どもは自民離れをおこしていますからチャンスですね」と指を鳴らしていることでありましょう。「新しい道路を作ったら、また儲けられますよ」と。

非難しているのではございませぬ。
世の中とはそういうものだと希望に燃えておるのでありますよ。

私メだってオリンピックで百億円賄賂をくれると言われれば「オリンピック大賛成!」と考えを転換するのであります。外人がウンコをタレに来るくらいどーういうこともございませぬ。百億円をくれぬから、アメリカ人や中国、南北朝鮮人をいぎたなく罵っておるのであります。百億円よこせば、いや欲張りませぬ。百万円よこせば、私メだって愛情深く奴らに接するでありましょう。「オ・モ・テ・ナ・シ」と。みなさまだってそーでございましょう。

ところで世界遺産登録して、だれがどれくらい儲けているかご存知でしょーか。
アホ面してサッカーの応援をしている者どもの裏側で、どれほどのお金が誰に手渡されているかご存知でしょーか。
つぎはバスケでしょーか。
それら賄賂をバレないよーにする手口は…。

十傳スクールでちょっと触れましたけれど、ちゃーんとあるのでありますよ。
裏帳簿なしの、とんでもない方法が。

さて、大きな時代の流れはハッキリと富裕層と貧困層とに分かれて進んでおりますです。
ダメだと叫んでも無駄。
叫んだりデモなどに参加したら貧困層という証明でありますし徴兵されますですよ。

ネット社会らしくツイッターなどで自由に人々が語りあってますけど、そんなものは権力者が簡単に元を押さえられますです。私メならそういたします。新聞もTVも嘘っぱち。本音を言おうものならやっつけられますですです。真剣に受け止めるだけバカを見ますです。

時代は変わりました。
民主主義などはじめからなかったのだとお気づきなされ。
舵を切らねばなりませんですよ、自分だけの幸運へと。

いつまでも他人に美味しい汁を吸われてばかりいてはなりませぬ。

バカバカしい小説とかドラマとか歌など、それらの他人のこしらえた妄想などを、ひとまとめにぶんなげて鬼になっても面白うございますですよ。そんなことだからいつまでも貧乏に苦しんだり、イジメにあうのでありますよ。愚かしい愛などにしがみつくのでございますですよ。ノコノコと世界遺産を見物しに行ってはお金を巻き上げられるのでありますよ。
「クソったれどもが!」と怒鳴りつけ、いち抜けたと背中を向ければせいせいいたしますです。

しかと現実を見つめなされ。
このままでは税金を払うだけの奴隷のままでございますぜ。

しっかりとした視点を養うのは、もはや運命学しかないのだと断言いたすのであります。

ふー、十傳スクールの宣伝も疲れますです。