2011
05.15

会員の方から次のようなメールが届きましてございます。
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先生は宣伝みたいで嫌かもしれませんが、新刊の内容をお聞きしたいのですが・・・。
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なので、5月27日売りの「戦争を知らないオヤジたちへ」のまえがき部分をご紹介することにいたします。

【前書き】

 大丈夫です。

 我々、戦争を知らないオヤジたちは、もはや若いとはぜったいに言えません。髪の毛も薄くなり、体型も醜く、かんぜんに時代遅れです。夢も希望もありません。オヤジのくせにお金さえあるわけではありません。つまり取り柄などなにひとつないのです。

 それでも大丈夫です。この一冊は、そんなオヤジたちのために書かれたものですから。

 が、諦めなければ夢が叶うだとか、心が美しければ報われるとかいう気休め的なフレーズはいっさい書かれてはいません。まだまだ若者に負けずに頑張れと応援する本でもありません。

 我々は、もうすでに、頑張っても諦めなくても正しい行いをしても、無駄であることをとっくに知りぬいているわけですよ。「ちがう!」と真っ向から反対したところでイヌの遠吠えに等しいことも知っている「シラケ世代」ということもあります。

 ヤング世代とかアメリカンナイズされた若者と称された我々も、すでに五〇代の坂を転げています。なにひとつ、これだというものも残せないまま、いたずらに年齢をかさねて、はや五〇代ですよ。仕事場の飲み会でも年長者……いいえ、その飲み会の店の中でも、もしかすると最長老というケースもありそうです。去年までいた団塊の世代の上司たちはぞくぞくと退職していますから当然でしょう。戦争という命にかかわる経験もなく老いましたから、存在に重さがありません。そのために調子に乗って若い奴らと騒ぐこともしばしば。ふと気付くと「このオヤジはまだ帰らないのか……」という目が周囲から刺さってくる、そんな経験をしているのではないでしょうか。

 結局は、駅から自宅までの帰り道を自販機の缶コーヒーを片手に、ひとり70年代にヒットしたフォークソングを口ずさんでは「疲れたなぁ」と呟いてはいませんか。

我々オヤジたちは、いくつかの恋をしたり、友と別れたり、仕事をしたり、転職をしたり、そうやって過ごしてきました。それなりに頑張ってきましたよね。

 そんなオヤジたちの、気休めでも応援する本でもないとすると、では、どんな本なのか。

『美しく老いたオヤジになるため』の一冊なのです。

 夢も希望も若さすら失った我々に残されているのは「美しい枯れ方」しかありません。

 その美しさとはいまの時代には受け入れられないものかもしれません。が、知ったことではありません。未来のない我々は受け入れられるとか、られないなど一切関係のないこと。

 大丈夫です。

 我々世代の本来の美しさを再確認し、その美しさを追求する一冊なのです。

 この本は戦争を知らないオヤジたちの強い味方となる一冊となることでしょう。

と、ここまででございますです。

2011
05.15

ことしも、柚子の花が咲きました。
昨年より花の数は少なめでありますが、ちゃんと太陽と地球の関係は狂わずに動いているようです。

この花のうち、冬に黄色く実をつけるのは、どれくらいでしょうか。

ある花は風で散り、ちいさな実をつけても、朝になるとたあいなく路上に落ちていたりします。

そのほかにも台風だの、そういうことで大半は秋まで持ちこたえられません。

しかし、持ちこたえて結実したから、どうなるのかとも感じるのであります。
いま花が咲いているのだから、それでいいではないかなんて思ったりするのであります。

それから、あてもなく浜を歩くのでありました。

風がつよくて、白波がまじっております。
太陽の熱を、風が横から奪っていくので、日差しにくらべると、いくぶん涼しいのであります。

カップルだの家族連れだのがバーベキューをしていますが、この風では食えるように焼けるのかどうか。

海沿いに歩いていますと、去年も歩いたなぁ、おととしも、その前の年もだ…と時間の感覚が分からなくなるのであります。

というふうに、今年の夏も、ふりかえれば一瞬のうちに去っていくのでしょうねぇ。