2014
02.15

なかなかに凄まじい雪なのでありました。
2月14日。バレンタインの大雪。
恋人たちはどーするのかと想像しつつ、いやいや間抜けな想像でございますです。雪よりも愛という生殖本能にせっつかれるのでありましょう。

が、それも若い頃だけで、私メはこうして東海道線にて帰路を急ぐわけでありました。

電車が不通になるのは時間の問題かと思われるほどの吹雪。
向かいのホームには、やはり帰宅を急ぐ中年どもが群がっておるのであります。
早く帰っても心から待っている人など誰一人としていないのにも関わらず…であります。「帰った来なくてもいいのに…」と思われる者ほど帰宅を急ぐ傾向のようであります。

 

幼い頃、まだ祖父が生きていた頃でありますが、大雪の中、自転車を引きずって役所から帰ってきた祖父の姿を思い出しました。

定年後、教育会館で仕事をしていたのでありまして、逆算すると64歳あたりだと気づくのでございます。

そして、私メもまた、この吹雪の中、自転車なのでありました。祖父の血筋でしょうか。
この年齢で、車輪の両側から雪をほとばしらせながら自転車に乗ることに恥じるようなもの悲しさを覚えるのでありますです。

いつ戦争がはじまってもいいように、体を鍛えるようにはしておりますが、心の鍛錬はしておらず、還暦直前の我が身が、大雪の中を頭から白くさせつつ自転車をこぐという哀れさを、みずから恥じまして、その恥をふり捨てるように「中国人め! 南朝鮮人めが! くそアメリカ人め!」と意味もなく叫びつつ発狂して、自転車の速度を増すのでありました。
たぶん一億玉砕とわめきながら情けなくも敗北した祖父たちの年代へのやるせなさを晴らすことで、我が自転車の姿をくらまそうという自己保身が働いていることは明らかでありますです。が、言っておきますですが、お女性は勘定には含まれておりませんです。美女であれば南朝鮮だろうが、中国だろうが、枯葉剤のアメリカ人でも、屁くさい黒んぼだろうと受け入れるのでございますです。
「オノさんは差別的だ」とよく非難されますですが、誤解はおよし遊ばせ。日本人も男のデブでオカマには殺意をもって当たります。マツコなんとかとか黄色髪の震え声などは耳を掴んで便所に引きずり込んで皮膚が裂けるほどぶんなぐるつもりでございますです。人として当然の常識なのでございますです。違いますか? ホモやオカマなどは予科練を設けで徹底的に鍛えなおさねばなりませんです。が、レズはOKなのであります。どこが差別的なのか意味が分かりませんです。

いや、誰かを愛するということ自体、そこで差別が生じているのでありますです。ツンボを演じた作曲家を集中攻撃し、政治家として当たり前の汚職をした整形猪瀬をよってたかってイジメることは許されるのでありましょうか。

雪のせいでありましょう。
いっぺんに白い世界に漂白された風景に狂わされて、犬の遠吠えの如く毒づきながらどこまでも自転車をこぎつづける老兵でありました。
ともあれ、雪だるま状態になった私メは、さながらサーカス団の自転車に乗る白くまではなかったでしょうか。

そして、何を食いたいかと問われれば、すかさず「カップうどん!」と答えるのでございます。
ズルッズルッと音を立てて食うカップうどんのわびしきお下品さこそ、美味なのでございますです。

ラブホでベッドで並んですするカップうどんに勝るとも劣らない雪の日のお下品な美味。
来るべき老後の真の喜びを垣間見た夜のしやわせでありました。