2021
08.25

モリオカの本日は、雨音で目覚めましたです。
早くから電気工事の作業車が来まして、古い電柱の交換作業をしておりますです。

木製の古い電柱でしたから、それはそれなりに味はございます。
が、味だけでは、なにかあった時、台風とか地震で倒れられてはタイヘン。

敷地の道路や、塀の外の、燐家との境のフェンスも補修する予定でありましたから、そのまえに新しい電信柱に変えてもらうことは嬉しいのであります。

雨だと、草取りの作業から解放されるのです。
心置きなく、仕事に打ち込むことが出来るのでございます。

カフェなどというものは近所に一切なく、またモリオカの珈琲は、私メの舌にはちと物足りませんから、出かけよーという気持ちにもなりませんです。
財布を開きますと、一週間前から現金がほとんど減ってはおりませんです。

東京ですと、財布の底がぬけたように万札が消えていくのでございますが、モリオカに来たとたん、一日千円程度の出費。
中古のマンションが290万円とかで売りに出されていたりいたします。

コンビニやイオンの定価は全国一律でしょーから、
「高いなぁ」

たぶん、今日は雨ですから、出かけたとしても納豆を買いに行くぐらい。

そしてTシャツでは肌寒いでのございます。
薄手のジャンパーを着こんでおりますです。

申月は、四柱推命の調候用神法でいけば、夏と秋が介在した月。
夏の十二支が多ければ、夏の鑑定、秋の十二支が多ければ、秋の鑑定で見ていくことが鉄則であります。
本日のモリオカは秋真っただ中なのでございます。

2021
08.24

実家の裏山に、むかし御殿様とよばれるお屋敷がございました。
天守閣をおもわせる瓦葺きの屋敷がそびえ、森の中から燦然と輝いておりました。

コンビニに行ったついでに、遠回りして、そのお屋敷への坂道をのぼったのでございます。

もう一帯に森はなく、新しい住宅が立ち並んでおりました。

御殿様跡と思われるところに、百日紅の花が夏の最後の陽光をすって、古い塀から顔を出しうなだれておりました。
ご婦人に、いちどだけ、祖母にともなわれ屋敷内にお邪魔したことがございます。
抹茶を出されたことを記憶しております。
そして、どういう話の流れか、家宝とされている日本刀を目撃したのです。
オノ家の錆刀とは違い、鈍い白さをしずめた、息をすることも苦しいほどの刀でございました。

最後に、ご婦人をみたのはいつだったか。
片目が白く濁り、背をかがめた灰色のカラスを連想させる姿にやつしておりました。
それでも挨拶をしましたら、
「いつでも遊びにいらっしゃい」
もつれた舌の底からそう言い、大儀そうに坂道を登ってゆかれたのでした。

塀を巡りましたら、御殿様のお屋敷はあとかたもなく、夏草が茫々と、やはりうなだれておるばかりでございました。

お嬢様がおられました。

私メより四つ年上だったかとおもいます。
子供会の行事で、私メの家に集まった際、どういう成り行きか、かくれんぼうをしたみたいです。なぜなら、お嬢様とふたりで納屋の隅置き場に隠れていたからです。小学生一年か二年あたりです。

「誰にも言わないでね」
お嬢様は私メの目をみて、花柄のスカートたくし上げると、するりとズロースをおろしたのでございます。
こーなっているのよというように、お桃ちゃんを剥いて見せてくれました。
「ほんとうに誰にもしゃべっちゃダメだからね」

すでに、私メは薫ちゃんという幼馴染のお桃ちゃんも、たまに遊びに来る浅黒い由美ちゃんのお桃ちゃんも定期的に見せてもらって、ある意味慣れてはいたのですが、
「お金持ちのお嬢様のお桃ちゃんは美しいものだ」
と、心を打たれましたです。

その後、ずいぶんしてから母から、「お嬢様は出戻ったらしい」と聞かされました。
そしてお屋敷には戻れずに、「でも近くに家を借りているよーだ」とも耳にしました。

また時がたち、こーしてお屋敷の廃墟に、まぶしく咲いている百日紅の花を眺めていますと、まっしろいお桃ちゃんの剥き出された淡い赤が思い出されるのでございます。

四柱推命のテキストをチェックしていて、そのお嬢様の命式を目にしました。
麗しいほどの従殺格でございます。
従殺格は、幸運と生命を交換している危うさがございます。

2021
08.23

1人で飲むワインは淋しいものがございます。

料理をテーブルに飾っても、音楽をかけても、そこに自分しかいないのであれば、ワインは、一人ぼっちの侘しさをかみしめる所作となるのではないかなと考えます。
実際には、
「そんなことはないわ」
ハーフボトルを傾け、血のよーな赤のグラスのくびをつまんで。

ワインは、誰かと語り合いながら楽しむものではないかという先入観をいだいております。

深夜、PCの電源をおとしたところから、私メのお愉しみが始まるのでございます。
隠し部屋に移動し、戸棚からとりだしたウィスキーをドボドボ。
見かけはよくないのですが、モリオカの水は美味しいので、冷凍庫で出来た氷でじゅうぶん。

ウィスキーは冬の匂いがいたします。
「りっぱな大人になるために!」
と、14歳の冬に、毎夜、牛乳のコップに二杯飲むことを、自分に課しました。窓から手をのばし、長く凍った氷柱をくだき、そのコップに落として飲んだ、その冬の匂いでございます。
おかげで、つい数年前までは15杯飲んでも平気なほど強くなりました。最近は5杯が限界であります。
立派な老人であります。

それでも、トマトを丸かじりした後に、グビリと喉に流し込むと、限りない自由と、いちまつの悲しみのよーな気持ちにひたりますです。
モノローグのしやわせであります。

引き出しから古い雑誌のグラビアを眺めることもあり、西洋の絵画に目を近づけ、その世界にトラップすることも。

昨夜は、しのつく雨。稲妻が濡れた天窓を刺激し暗転していきました。

いままでプール何杯ぐらいのウィスキーを飲んだだろうか。

四柱推命でいえば、火炎躁土の命だから、お酒は運勢にイイのだとかたくなに信じているのであります。
もう音楽も不要。

1人のお女性の名を上から下まで呼びたくなるのであります。
口にすると頭をかきむしりたくなります。
それは、もう酩酊した証拠。