2021
08.18

夏は燃えながら滅んでいるのでございます。

少数派である(私メも含めて)「友達のいない派」はべつにどうということもなく疫病の世界で気軽に過ごしているのですが、「友達が大切派」の方々は、さぞや不自由な毎日ではないかと。

「おめぇみたいなのは友達がいないだろう」
友達がいて当たり前というのが当たり前の世情の数年前は、

「できないから仕方ねぇじゃねぇか」
ひとり呟いていましたけれど、ステイホームの時代にあっては、とても快適でございます。

お話は、でも、そーいうことではなく、けっこう出会いがあるものだと驚いているのでございます。
たとえば、電車の座席にスマホを落としたまま下車しようとしたお女性に、注意いたしましたら、
「すみません、ありがとう」
たんなるお礼の言葉でしょうが、なんとなく透明な接着液がからまっている気がするのであります。

あるいはスーパーで卵をケースごとと落として床を汚してしまったお女性に、据え置きのタオルを渡し、いっしょに拭いてやりましたら、外で待っていまして、
「さきほどは」
お礼にミネラルなどをくれるのですが、くれた時の目の奥に特殊な光が宿っているのでございます。

この現象は、疫病以前はなかったこと。
「いいですから!」
迷惑を顔にむき出しにして、こちらのお節介を咎めたものでありました。

誰とも会えない、ステイホームやマスクなど人との接触が限定されて、それがいつ解除になるか分からないいま、もしかすると人の心に恋のチャンスを大切にしようという意識が誕生しているのかもであります。

老体の私メですら、
「おっ、親切なお女性」
とおもわず、胸やお尻のふくらみを含む全体像を、それとなく観察しながら、反射的に値踏みしているのでありますから。

夏の終わりの陽光が陰りゆく季節と、疫病ですべてが禁止状態にある時代において、恋を求める本能は、蝉のように敏感なのかもしれませんです。