2021
08.30

恵まれた日々でございました。
みなさまが中国人がもたらした疫病だの、くだらぬ五輪の渦の中で、耐えがたき生活をなさっているのを尻目に、ひと夏をのん気に郷里に引きこもって退避していたのでありますから。

そして、温泉三昧でございます。

自分では落人気分ではありましたけれど。

しかし、退避生活も、そろそろ終止符を打つ時が迫ってきましたです。
おのれに課したノルマも達成し、このまま、居続ければ腐ってしまうことでございましょー。
すでに腐りかけておることは自覚してはいても、であります。

夏のはじめから、夏の終わりまでいれば、十分なのであります。

この贅沢は、自分の四柱推命の命式と大運を工夫したからだと言えば、いささか僭越かもしれませんが、私メのよーな火炎土躁の最悪な命式でも、そして大運が到来したとは申しましても、それはほとんど忌む大運。忌む大運から、すこしでも光をと、息も絶え絶えなたった一つの喜神を育てたからではないかと、多少の自負はございます。

その絶滅しかけた喜神に生を与えられることを、鑑定のお客様にも当てはめ、
「諦めるのはまだ早い」
などと、奇門遁甲などを馳駆しているわけでして、あるいは断易によって現状をつぶさに把握したりして、近頃は、鑑定とは、一方的に言い放って終えるのではなく、数本の命綱を支えながら、一定の期間を通じて、モノに仕上げていく、一種の栽培のよーなものではないかと思っているのでございます。

命式も知らず、大運の意味も知らずにいれば、悪しき運命の罠にはまっていくしか道はございません。

四柱推命初等科から卒論科に至るまで、講義のはしばしに語っていることとして、
「四柱推命が絶望の運命学ならば、四柱推命はすでに滅んでいるだろう」
だが、四千年もの長い期間、その間には、時代が変化し、人間の価値観が変化したはずだが、それでも四柱推命がいまに伝わっているのは、そこに、
「開運の種」
が蒔かれているからに相違ありませんです。

ただ一つ、欠点があるとすれば、四柱推命の指し示す開運と、その人その人が希望する開運とが、異なることかもしれませんです。