2024
01.02

青春時代、私メは映画製作に夢中になった一時期がございました。

画像は、そのころの仲間からの年賀状でございます。
「賀状は今年限りにする」と記されています。

彼とは、私メが京都に出た頃からの付き合いでした。
「どんな映画を見てはるのん?」
たしか最初の会話だったよーな気がいたします。

私メがモリオカで見てきた映画は、渥美マリ主演の、「いそぎんちゃく」とか、黒沢年男の「俺たちの荒野」とか、日活最後の「八月の濡れた砂とかでした。

彼は、「なんやそれ」と息をついて、こんど見に行かへん? と誘ってくれたのが「戦艦ポチョムキン」というモンタージュ手法を使った映画でした。あとは「去年マリエンバードで」とか寺山修司の「書を捨てよ~」などなど。

よーやく私メが文明に慣れたあたりに、映画製作を提案されたのでした。
どーやら彼は、映画の仲間を探していたみたいであります。

出演してくれるめぼしいお女性を勧誘するのは私メの役目で、そこで分かったのは、
関西のお女性は、東北のお女性よりも楽に、
「落ちる」
ことでした。
仲間の一人からは、「岩手県なのに、よーやるわ」の複雑な評価でありました。

三本ほどつくり、あるところに応募したら「奨励賞」どまり。
「なんで特別賞じぁあらへんのかなぁ」
餃子をつつきながらぼやいたものでありました。

月日は砂のように過ぎ去るものであります。
人生の終わりは、すぐそこに忍び寄っているのでしょーか。

が、
『いつまでもお元気でいたください』の肉筆に、
「おれは、もうすこし頑張るつもりだよ」
賀状に無言で告げるのでした。