2024
01.26

ふと、チャオの家はどーなったのだろーと発作時に思い出しました。
チャオはヒサオと言う名で、だからチャオなのであります。
小学校の同級生であります。

貧乏長屋に住んでおりました。
いえ、この通りこそが、貧乏通り。

数えてギョッとしますが、60年ぶりに歩く通りなのでした。
昭和四十年代に国体が開催されるあって、岩手県は田んぼをつぶし、バイパスを通すなどして近代化を図ったのでありました。が、残念ながら、この通りいったいは計画からはずれていて県に買い取られることはございませんでした。

小学生であった私メは、いくどかチャオの家に遊びに入りました。
幾度目かの時、チャオのおふくろさんから「もう、来てはわがねよ」と釘を刺されたのでございました。

中学や高校に進学し、もうチャオのことは忘れていましたが、「どーやら盗みをして少年院に入ったよーだ」と仲間に教えられ、そーいえば小学五年あたりから、チャオの目つきが昆虫のよーになっていったことを思い出したものです。

チャオの家族は八人だったと記憶しています。
いまなお、家がそのままに朽ちていることを考えれば、「思い出したくもない重荷」になっているのかもしれません。

少し改造して、古民家カフェにしてもイイのでは…と思いつきましたが、崖下のしけった土地で、パーキングもなく、交通の便が激しく悪いとあっては、儲けにもならないかもしれません。

チャオだけではない。
みんなとこへ行ったのだろうか。
死んでしまっている人たちもかなりの数だろー。

家相とか奇門遁甲などを馳駆して、この家を活用するすべはないだろーかと、腕を組みましたが、やがて広い道に出て、キレイなお女性がクルマのハンドルを握っているのを見た瞬間には、チャオのこともそのほかのことも意識から離れてしまっておりました。