2011
03.04
03.04
イタリアによく行くのは、画像のような中世の遺跡が、現在の建物と混在している風景に多々遭遇できるからだとおもっておりますです。
ふつうは、こういう役に立たないものは、埋め立ててしまうものであます。
あるいは価値があるからといってバカに丁寧に扱うものであります。
が、イタリアだけでなくエウロッパは、まるで死んだオババの骨を遊び道具にするように遺跡といっしょに暮らしている感じがいたします。
恋をすれば心に傷を負うものであります。
傷つかない恋などありません。
遊びの恋だとてほろ苦いダメージを受けるのです。その傷の疼きがわすられず、ふたたび禁猟区に足を踏み入れるのではありますが。
けれどいちど傷つき汚れた心がはたしてふたたび回復するとはおもえません。
イタリアの遺跡のように、古びたまま放置されることになるのではないでしょうか。
新しい恋人と愛し合いながら、その恋人のある仕草から、以前の恋人の記憶が突如としてあらわれるように、心の傷というものはけっして漂白されることはありますまい。
傷は痛みもなくキズ痕して心にとどまるのでありましょう。
そして、それは悪いこととは思えませんでございます。
「いま彼女はどうしているかなぁ」
と、私はおもっていました。
しかし、最近では、
「いまも彼女は生きているかなぁ」
と思い出し方が変化してきていますです。