03.26
松屋の豚丼であります。
タマゴとお新香とみそ汁のついたセットで410円であります。
テーブルに並んでいる醤油以外のドレッシングをすべてぶっかけるのであります。周囲のお客さんはシーンと黙りつつ私の手元に注目。
そして頭を左にやや傾がせて丼にかぶりつくのでありました。クロールの要領で胃にかっこむのであります。
タマゴも丼に。そのさいに大切なのは肉のヒトキレでタマゴの小丼の内側をぬぐって黄身を無駄にしないようにすることであります。
開運料理のワケがありませぬ。
が、かような飯を異常なまでに欲しているときがあるのであります。
一年ぶりくらいでしょうか、松屋の豚丼は。
ウマイのであります。
食い終ればもう用はありませぬ。
ムスッとして立ち上がり引き戸を引いてでるのであります。背後で「ありがとうございました」と声がかかりますが、無視するのがイキなのであります。
震災で家族も家も、もろともに失い、一人生き延びた五十才過ぎの男が、昼飯を食い、日雇いの道路工事にふたたび戻っていく様を想像いたしました。貸与された労働服をきているはずであります。煙草も吸うでありましょう。安焼酎の匂いが染みついていることでありましょう。灰色に濁った双眸をしていなければなりません。
頑張ろうとか希望を失うな、なにがなんでも復興させるのだ、という理想とはとおくに、今後の現実はあるのでありましょう。力強い励ましにうんうんと頷きながら、けれども一人になれば息をするのも重いのでありましょう。
日雇いで稼いだ金は、やはり震災ですべてを失った盛りを過ぎた女…いまでは売春をしている女に落としていくのでありましょう。
「あんだ、気仙沼の人だっぺ? なんとなぐ分がるおん」
「……」
「遺体があがったんだばまだ良いほうだよ。おらほのはぁ、波にもっていがれだままだでば」
松屋の豚丼が、あたかも未来を予見する水晶のように、そういう起こり得る日本のこれから…けっして美しくはありませんが、冷酷ではない温度のあるこれから十年のヒトコマを想起させたのであります。
私の後ろを何本ものペットボトルを抱えた人々が追い抜いていくのでありました。
つぎは放射能汚染の水道水であります。
人間五十年…であります。
このゲームからイチ抜けましてございます。