2012
09.23

しずかに雨が降っているのであります。

秋はすでに始まっていたことを我々に告げるようなしめやかな雨。
あの熱気は何だったのか、はたして夏が存在していたのかも、首を傾げてしまいたいくなる雨でございます。

褪めてしまえば恋などなかったかのような、そんな雨が夜半からふりだし、予報では終日つづくそうでありますです。
笑ったり、喋りあったり、すねたり……。ほんとうにそんなことをわが身で経験したのだろうか。ぜんぶ幻だったかのように、雨はふっております。

季節が傾き、水道水の冷たさに空をあおぐと、重たい風が髪の毛をなぶり、つかのま、別れた相手が頭の隅をかすめる、この時期は、占いの季節の幕開けでもございますです。

別れも恋愛のひとつ。
しかも、別れは、「さよなら」と告げた時から、はじまるのであります。
恋が燃えた分だけ、濁った分だけ、自分が汚れた分だけ、ひとりでその思い出を鎮める恋のメニューであります。

花も泣いておりますです。
「いやだ、いやだ」と雨うなだれ、慟哭しているのでりましょうか。
「こんなところはイヤなの。だれか連れてってください」
とでも、うったえているようであります。

ときおり、通り過ぎるクルマから、音楽が漏れては、また静寂にもどるのであります。
雨がふっているのに、雨音もいたしませぬ。

頑張ろう、頑張ろう!
自分をけしかけながら、花は濡れるのであります。

誰もいない浜辺を、引いては寄せる波の無駄な繰り返しのように、日曜日の雨はいつまでもやみませぬ。

やまない雨なんて言って欲しくはございません。
雨よ、雨よ、やまずに、好みの芯までを濡らしてくださいまし。
祈るような気持ちで裏通りを歩くのでございましょうか。

杖をついた老婆とすれちがいました。

どこへ行くのですか?
行くのですか、帰るのですか?

雨に濡れたとしても、花でいられるうちは、花でございますです。

どんどん花から離れていく自分が悲しいのでありますです。

以上のような気持ちがお女性の心で醗酵する季節が到来し、私メの仕事は忙しくなるっつうわけでございます。

2012
09.21

えー、昨日のブログでは、けっこうな数のお女性様たちから、「あれは自分のことみたいです」という意味のメールが、お問い合わせから届いたのでありました。

なかには、
「わたしのことを書いたのでは?」
という、やや非難めいたメールも。

いえいえ違いますですからね。
相談者の悩みをネタにすることはございませんですので、ご安心を。

あくまで、日本をお女性に見立てて、諸外国から愛されているかどーかを茶化してみただけでありますから。

かつて、小椋桂も、「少しは、私に愛をください♪」と、勤めていた銀行を男に見立ててヒット曲を作りましたが、あれと同じ感覚でございましたのであります。

さて、今日は、赤パンでキリリと(?)事務所に出勤なのでございます。

鑑定とかいろいろと、ございましてね。

セブンで買った珈琲をのみつつ、ちとくつろいでいるところなのであります。

こうやって、街並みを眺めますと、日本の街作りはまだまだでありますね。
この電線をどうにかならないものでしょうか。
お下品このうえないのでございます。

世界から愛されず、軽く扱われているなら、美しく理想的な街を作りたいものでありますです。

街は、その住人の思考回路と同じなのでありますです。
せめて赤パンが似合うような街にしたいのでございます。

これではジロジロと眺められて恥ずかしくて仕方ありませんですよ。

2012
09.20

東海道新幹線も止めてしまうほどの雷雨が過ぎ去ったら、秋が誕生しておりました。

気温は高いのですが、陽光も風も木々も、もはや夏のモノではございませんです。
久しぶりに顔を合わせたお女性がしずかに老いているような、そんな季節があらわれているのであります。

濃密な愛欲が懐かしいような季節ともいえますです。

あれこれと世話をし、心を砕き、やりたいことも抑止し、お金もずいぶんそそぎこんだのに、ぜんぜん愛されていなかった事実に、唖然とする季節は、もうすこし先のことなのでしょうか。「おまえのことなんて愛したことなどない。さっさと死んでしまえ!」と、憎まれていたことを思い知らされるのであります。
いえいえ、男女のことではありませんです。

日本のことを申しているのでございますです。

こうなったら、好きなように老いていくしかありませんですね。
まったく、なんのために気兼ねしていたのか。
「あなたの愛欲につきあってましたが、もう耐えられません」

これは男女のことになりましょうか…。

「ええっ? 誘ったのはキミだろう。最低でも一週間に一度は逢いたいといったのもキミだし」
と心の底で思っていても、男はそれを指摘する気持ちにはなれないのであります。

「わたしとHをしたくて、そのあとのお茶だってしぶしぶだったわよね」
お女性は沈黙する男に襲いかかるのであります。
「いやいや、オレはキミの他にも女がいたわけで…Hはしたくないわけではなかったけれど、やはりしつこく誘ったのはキミだよ。オレが誘ったとしたなら、そうしなければヒステリーをおこすからだなぁ」
これも、男は黙るのであります。

秋の気配をかんじながら、チェックした単行本の初校を宅急便で送るために、コンビニまで自転車に乗っておりますと、仕事から解放された心の隙間に、お女性の言葉がよみがえったまでであります。

が、記憶違いは、お女性だけでなく、私メにもきっとあったことでありましょう。
「だからどうしたというのだ」
これが自分に対する納めの言葉でありますですね。

愛されない日本、愛されない自分。…今年の夏はせっかく夏らしかったのに、誰からも愛されなかった夏だったような気がいたします。
紫陽花をさいごに、夏の花も咲かなかったような…。

愛されるために愛するのか。
愛なくても愛するのか。
愛されないから愛さないのか。
愛されても愛さないのか。

いま、そのような秋は始まったばかりでありますです。