2012
09.19

10月下旬に学研からでる、運命学の単行本なのでありますが、二日間で初校の見直しをしなければならないのでありました。

「あれれ、こんなこと書いたっけか…?」という部分が、随所にあり、記憶の不確かさを痛感するのでございます。
私メはとにかく忘れやすいのであります。

書いたとたんに、もう何を書いたのかすっかり、それこそゴッソリと忘れてしまうのでありますです。

読み返すのが新鮮なのでございます。

東洋の運命学とは、もともは古代中国が発祥であります。
四書五行の、五行思想を根底にしてはおりますが、通変にとんだ、「なぁーるほどね」と頷いてしまう実用書ともいえるのでございます。
文化大革命のさい、占いの類が中国で禁止されまして、蒋介石が文化財とともに、運命学の書物をすべてもって、台湾に渡ったのであります。
なので、現在の中国には、運命学が存在しないのであります。

では、台湾にあるかといえば、もう台湾にも残ってはいないと言われておりますです。
日本の占い師たちが、買い付けにきて、ほとんどのものを売り払ったということです。

まぁ、台湾人というか、シナ人のいうことは嘘が多いので、どこまで本気にしたらいいかは分かりませぬ。
それでも、シナ人たちは、五冊に一冊は本物の書物を売ったはずであります。
かれらは、じつにヒドイ奴らで、「秘伝書あるあるよ」と50万円ほどふっかけて、カスを売りつけるのであります。
それでも懲りずにきた占い師に「しようがないあるね」とばかりに、五冊に一冊の割合で、価値ある秘伝書を渡すわけであります。

この華僑的な商売を承知しながら気長に買いあさったわけで、いまは東京が運命学の書物の宝庫と言われておるのでございます。

今度の本はなかなかの出来ではないかと自負するものであります。

チェックがすんだら、「あとがき」で終了なのであります。

タイトルも気取っていて、教えたいところでありますが、事前にパクられることを恐れて、まだ非公開にいたしますです。

こういう、作業はウェブではやらない古臭いモノでございますが、古臭いだけにひどく充実感がありますです。
はやく片づけてしまいたい反面、もうすこし苦しんでいたい、いわば悪い女との情事に似ているのであるのでありますです、はい。

2012
09.18

民主党の鳩山だったかが叫んでいた「友愛」はどうなったのでありましょうか。
日中間の騒乱によって、いよいよジャポーネは、チャンスとばかりに軍事力増強の道を進むことになるようでありますですね。

日本人はなべて、シナちゃんのこともチョンちゃんりことも、心の中で軽蔑しているのであります。否定はできますまい。
経済協力でしか、つまりお金だけのつながりなのでありますです。
お金だけのつながりは、かくも脆いものであることを、しみじみと感じるのでありました。

が、一人だけ救いたいシナちゃんのお女性がいたことを思い出しました。

泥酔したあげく赤坂の店に迷い込んだことがございますです。
もう七年ほども前のこと。

そこはシナ人が経営している店でして、私メの隣に、背中の開いたドレスをきた、あまり美人ではないホステスがつきました。
その広い背中を撫でながら、つがれるままにお酒を飲んだのであります。

しばらくしてからでしょうか。
お女性の背がピクンとこわばりました。
そして、耳に囁くのであります。
「お兄さん、ここは、ぼったくりバーあるね。はやく逃げないと大変なことになるアルよ」と。

逃げろと言われても入り口にはシナ人のボーイがおりますです。
だいいちぼったくりパーかどうかも分かりませんです。

もしかすると、このお女性は売春目的で、私メを店から誘惑しするつもりではないかなどと、ちと理屈に合わないことも考えたのでありました。
「はやくはやく」
とお女性はせかすのであります。

で、トイレに立ちまして、そこから出ようとしたら、カーテンの奥から私メの腕を掴むのであります。
「こっち、こっち」

よく分かりませぬが、もうひとつドアがありまして、そのドアの向こうは別の店に続いているのでありました。

腕を組まれたまま、外に出て、小路を曲がると、一ツ木通りの裏あたりなのでありました。

お女性は、「危なかったアルね」
と、そこで手を振って店に戻っていったのでありました。

たった、それだけであります。
私メとしては、いまでも、そこがぼったくりバーなのか、被害がありませんでしたから、半信半疑なのでございます。

が、お女性はどうして、私メを逃してくれたのか、そして、そのあと、どんな制裁を受けたのだろうかと、首をかしげつつ思い出すことがございますです。

シナちゃんやチョンちゃんでも、良い人はいるなどと申すお方がございますです。
それはそうでありましょう。
が、ある人に良い人でも、ある人には悪い人。
これは世の常であります。

私メにとって、顔も忘れたそのシナ人のお女性は、良い人だったに過ぎないのでありましょう。

『強くなければ生きてはいけない、やさしくなければ生きる資格がない』
レイモンド・チャンドラーの名言でありますですね。

2012
09.17

モツの煮込みならぬ、クダ煮なのでありますです。

なんですか、クダってのは、と尋ねたら
「食道なんかの器官の煮込み」
とお店の方が、奥の方で叫んでおりました。

こういうゴッタ煮を眺めていますと、誰の子供かなんて分からない人が多いんだろうなぁ、とハズレた連想してしまうのであります。

たとえば不倫している既婚のお女性が、相手の子供を孕んでも、ご亭主と血液があえば、まず分からないでありましょう。

将来、なんらかの事情で、DNAを調べない限り、ご亭主は自分の子供として信じて疑わないだろうし、子供も父親が別にいるなんて思いもしないことでしょう。
お女性だけが「……」と複雑な思いを墓場までもっていくのみ。

不倫の相手も、たまに自分の子供をみるチャンスがあるかもしれませんですね。
いやいや、不倫はセックスを基本としておりますから、妊娠後半あたりから疎遠になるはずであります。
エロDVDなどには妊娠お女性愛好者もいますから、なんともいえませんけれど、妊娠中のお女性との不倫というのは、なかなか珍しいモノと思われるのであります。

大きなおなかを抱えての恋愛というのは、すこし奇妙でありますし。

などと想像すると、そういう事例はかなり多いのではないかと思ったりするのであります。
占いで、父親との縁が薄いはずなのに、実際には父親の強い影響を受けているケースがあるのですが、そういう場合は、もしや、別の父親の種ということもないとは言えますまい。

子供の立場になると、自分には本当の父親が、どこかで生きているという空想は、かなり楽しいのであります。
このバカオヤジが本当の父親でなくてホッとしたりするでありましょう。

そして、もし生まれたのが女の子だったりした場合、父親との近親相姦は成立せず、普通の男女の関係なのでありましょうか。
いつか母親の不倫の相手の息子と出会い、愛し合うという物語を、どこかで見たような気もいたしますです。

飲み屋の女の子が妊娠して、中絶費用を五人の男に請求して儲けたという話もありますです。
「じつはね、あの子、妊娠なんてしてなかったのよ」
などというチャッカリ娘もいたそうであります。

妊娠や子供については、男というものはなんにも出来ないことになりますです。
三人の子供がいたとして、その全員が自分の種ではないという喜劇というか悲劇も起こり得る話でありますですね。
そして、その方か、男としても気持ちがラクかも…であります。

お茶割の焼酎がいつになく濃く、たあいなく酔っぱらっているのでありました。

「えっ、妊娠したって、それオレの子供?」
「決まってるじゃないの。あんたの他に誰がいるのよ」

というチープな会話だけで男は信じてしまうほか手立てはないのでございます。

アーメン。