2015
10.01

茅ヶ崎にも秋が忍び寄っておりました。
手水の水に枯葉が秋の模様を描いております。

夏の苦しいほどの熱情は引き潮のように収まり、裏の画像を解析するよーに心はおだやかに醒めておるのであります。

「肉体だけの関係はもうイヤなの」のお女性の言葉を思い出して「その関係が失われると惹かれるものは何もないのだよ」と声にならぬ想いを沈め「イヤだというよりも迸るほどの欲求がもうないのだよ」と言葉を改めて、水底の変色した葉っぱを見下ろすのでございます。

すると、そこに水にうつった私メ自身があるのでありました。

糸を紡いだ織物を途中で投げ出したのか、完成したとたんに興味を失ったのかは分かりませんが、無関心だけが水面にうつっておりますです。

愛欲への高まりが軽減するのに反比例するかのよーに、「ズバッとした占いの講義をしたいものだ」の気持ちが増幅されるのは何故でしょうか。

いぜん、急性的な不能に陥った時には、こうではありませんでした。
希望もヤル気もボロボロに破れ、ため息だけをついていた記憶がございますです。

が、年齢的に心情面での官能への欲望の水位が抑制された現在、その欲望の方向性が別の方面に走り出しているのかもしれませんです。

誤解すると危険なのは、濁情から心的要素が抜け落ちただけで、指の根元まで埋もる柔らかなモノにはいち早く反応を示すことでございます。

「おじいちゃん!」などと油断すると、気づいた時には抜けられぬ悦楽に濡れそぼり「肉体だけじゃいや」なんてことになったりしますからね。
いや、それはないか。
いやいや、ジジ専もお女性の半分くらいの割で潜んでいますから、「ない」と断定することはできますまい。

冬に行きつくまで、秋はさまざまに色を変えるものでございます。季節も男も。
お女性だって。