2015
10.24
10.24
どん底時代のヤツであります。
所属していた占いの団体から追放され、味方だと信じていたお方が、じつは内通者であり、いやそれよりも収入が途絶えてしまった絶体絶命のときの画像であります。
四柱推命では開運するはずの大運まであと一年でありました。
梯子をはずされ、どうすることもてきずニッチもサッチもできず、最後のあがきとしてNYへ行き路上パフォーマンスを覚悟して撮った一枚。
TV局の門をトントン叩き、雑誌社の門をコンコン叩き、イベント会社の門をガンガン叩き、むろん相手にされるはずもなく、破滅の中にいながら破滅に怯え、かんぜんに頭を抱えていたのであります。
ちょうど撮影した日から23年目を迎えております。
温故知新などとのどかに語れるよーになったのはいつの頃だったかも忘れておるのであります。
運命とは…四柱推命とはげに恐ろしいものだと痛感したのは、撮影してから三年目あたりでありましたか。
不思議な縁が連続し、イベントのボスとなり、本が出るようになりました。私メから働きかけたことではないのも不思議なのでございます。
新しいことをするとき、かならず眺める一枚の写真であります。
郷里で、この写真を眺めているワケは、先日の雑誌の打ち合わせで「彼女、もう二年ほど前に亡くなりましたよ」と聞かされたからであります。
彼女というのは報復すべき相手ではございませぬ。
やっと苦境から抜け出したあたりに、お酒を交わしたお女性占い師でありました。
「…死んだ、んですか」
「病気だったらしいですね」と編集者。
私メは彼女とほとんど同年代でしたから「そういう年齢なのか」という思いも強いのであります。
ふたたび写真に目をおとし、「なにかやらないといけないなぁ」なんていう思いを新たにいたしているところであります。