2021
10.22

つたない文字であります。
下書きですので、これからお清書をばいたしますです。
コレは私メの控えでとなるのでございます。

命名が決まり、それから四柱推命をもとにして『命名譜』を作成するのが本来の姿であります。
本来の姿は、でも色々でありましょーから、私メのヤツだけしかないというのではありません。

料金は戒名に準じて決めるのでありますが、できれば命名譜のない、安いヤツでお願いしたいのであります。
赤ちゃんの名前ほど頭を悩ませるもはなく、料金の問題ではないのであります。

誕生日時から、四柱推命で、一生の傾向を占い、それを語っている漢詩から抽出し、鑑定書に書くわけで、これが非常にお手間なのでございます。

一生の傾向と言っても、同時刻に生まれた赤ちゃんはたくさんいるはずです。
同時刻に誕生したあかちゃんの人生は様々。
それであっても、傾向は似ているのが面白いのであります。

いつだったか、私メと同じ誕生日時を彼氏にもつお女性がいらっしゃいました。
彼の職業は英語の教師。
試しに、私メの性格とか考え方を喋りましたら、その女性は、目を白黒させ、
「怖いぐらいに当たっています」
で、帰りにドアに頭をぶつけて、大きなたん瘤を額に作ったほどでありました。
でっかいたん瘤に薬を塗ってあげたところ、
「そういう優しいところも同じです。いつもは意地悪なのに」

で、ありますから、人生は違えど、同じエンジンを搭載していることは間違いございません。

まぁ、こういう具合なのであります。

この漢詩の意味をご両親に説明する仕事もございます。
人生でのポイントや注意点。

つまり命式が告げるサインが漢詩に内包書されているのでございます。
で、その赤ちゃんが、人生の途上で困ったことが発生した時など、この命洩天機を読むことで、解決のチャンスを見つける、いわば命の鍵となればなぁ、と。

十傳スクールの四柱推命のテキストが『解錠禄』とあるのは、そんなところから引っ張ってきているのでございます。

やれやれ、これから清書であります。
て、手が震えますです。

2021
10.21

占いは他のお勉強とは、少し違うのであります。
そこで、土曜日から「新生四柱推命初等科」がスタートすることもありますから、お勉強の姿勢をすこし述べたいと思いますです。

まず、いちばんに大切なのは、
〈霊感を働かせてはけいない〉
占いを目指す方々は、自分は霊感が強いと、妙な自身を持っているケースが多いと思います。
しかし、霊感は、占いのお勉強にはマイナスに働きます。

占いは、霊感ではなく、推理であります。
占いの原則から、いくつかの可能性が導き出されます。
その導き出されたいくつかの可能性から、
「これは違う」
と推測されるものを消去していき、残った一つの可能性を提示することが占いであります。

そこに霊感の入る余地はございません。

もしも、霊感が強いと自信をお持ちであれば、ロト6を2回連続して的中させられるなら、これはもう占いを学ぶ必要はなく、霊能者として世界に君臨できるわけで、それ以外の霊感は妄想と置き換える必要があります。
よく「お金のことは霊感では分からない」などというお方がいらっしゃいますが、「お引き取りを」でございます。

次に大切なのは、
〈予習はしない〉
占いのお勉強は、「純」でなければいけませんです。
予習して、知識をひん曲げて覚えてしまうと、最後まで、そのひん曲がった知識が邪魔をいたします。
皆様の中に、すでに別の教室で占いを学んだ方は、その知識をゼロにして臨んでいただきたいと思いますです。

占いとは、他の学問と違い学際性がございません。研究会などで討論して知識を共有するシステムとは、根本的に異なりますです。

そして、
〈当たりハズレにこだわらないこと〉
学びたての時は、いろいろと占いたくなるもので、多くの場合は、
「外れた…」
そして、
「おかしいぞ。教え方が悪いのではないか」
疑問だけが浮上するものであります。当たらないのは当たり前。当たってもまぐれであります。
なにしろビギナーなのですから。
半年以上、猛勉強してはじめて「なるほど」の判断が下せるものなのであります。

あとは、
〈情報に振り回されない〉
じっさいに、その目で見たものだけを信じること。
心が狭いとかの問題ではなく、リアルさを身に付けるためであります。

以上の事柄を、頭に入れておけば、占いのお勉強はグンと上がりますですよ。

2021
10.20

あれから…、あれからと申しますのは、先日、サンマーメンのお話をUPしてからでございます。
二年ほど閉まっていた、定食屋が再開したのですが、そこは以前の店名のまま、別の料理を出す店として復活しました。
以前の、みどり(勝手に名付けた)という女将のこしらえるサンマーメンがとても美味く、
「もはや食うことは出来ないのか」
あきらめきれずに、ほうぼうのサンマーメンを食い漁ったのでありました。

そのたびに、
「…ちがう」
落胆の連続でございました。

が、違うのは私メであり、食い漁ったサンマーメンこそが、本来のホンモノのサンマーメンだと、本日、悟った次第でございます。

ホンモノのサンマーメンも極上のお味であることは、ここで宣言しないといけませんですね。

しかし、求めていたものは偽物のサンマーメンでありますから、
「モノにしておけば良かったのか…!」
みどりと通じておれば、いつだって食えたはずという意味でありますです。

本日、ホンモノのサンマーメンをすすりながら、
「卵を散らしていない!」
そのことに気づいたのでありました。

湘南から消えたラーメンに、『城門ラーメン』がございます。
城門ラーメンを、簡単に申しますと、とろみの付いたモヤシラーメンに卵が散らしてあり、生姜を効かせたものでして、汁の底に残る挽肉を最後まで味わう喜びに酔うものであります。

みどりのこしらえたサンマーメンは、城門ラーメンから生姜を差し引いたものだと思い当たったのでありました。

偽物にこそ愛着を覚えてしまう不幸は、恋愛にも相通じるところがございます。
フシダラなお女性に恋してしまい、似たよーなお嬢様と付き合い、周囲に羨望されつつも、
「違うんだよなぁ」
物足りなさに、いまひとつ心が燃え上がらない、あの状態でございます。
そーなってしまうと、どちらがホンモノなのか分からなくなりますですが。

滅びてしまった城門ラーメンを求める旅が始まりそーであります。